ささやかな日常

 


 一年生のある日の日常

 人はみんな、自分が好きだろうか。それとも嫌い?
 そして自分に不満はある? 俺は自分が好きじゃないし、不満もある。自分が嫌いだったり不満があるというのは、性格が気に食わないというのが大き
いだろう。なんで思い切りが悪いんだろう。どうしてあぁいう暴言を言ったんだろう。何故優しさに欠けるのか。
 なんで、自分を好きになれる自分じゃないだろう。俺は何かになれないのか。この手に希望を掴んでいない。ただ、ぼーっと生きてる。
 夢はなんだろう。なりたい職業はある。でも、小さくてもいい、夢を実現したい。でも夢を実現して幸せな人生を送る大人の自分を想像出来ない。
 まぁ、自分を好きになれる人って、本当に少ないだろうな。
 俺はそんな事を考えながら、琴別高校の入学式での校長の話を聞いていた。
 右を見る。左を見る。誰だこいつら。みんな知らない。こんな見ず知らずの他人と仲良く出来るだろうか。友達は作れるかな。何事も無く、ただ安心出来
る高校生活を送れるだろうか。不安。
 もしも友達が出来ず、つまらない高校生活になったらどうしようか。俺は口下手だし、高校で成功出来るかわからない。そもそも俺に成功という言葉は
似合わない。
 にしても、校長。そろそろ空気読んで話を止めろ。足が痛いんだよ。
 そう思った時校長の話は終わり、入学式は終了。
 並んで体育館を出る。一年生は三百人近くいる。呆れるほどの人数。これだけ人がいれば気の合う奴もいるだろうが、気の合わない奴もいるし、嫌な
人もいるだろう。
 教室に入り、自分の席に座る。
 周りを見る。知らない人間。不安は募るばかり。近所の高校に入ったけど、それでも同じ中学の人間は少ない。
 女子をチラリと見る。なかなか可愛い子が多い。そして飛びぬけて可愛い女を見つける。
 髪は長くてサラサラしている。顔は小さい。白い肌。目は大きくてクリクリしている。顔のパーツはどれも小さくて整っている。薄い唇。子供っぽい無邪気
そうな顔。そして不安そうな目でキョロキョロしている。
 か、可愛い。誰だあの子。是非とも仲良くなりたい。
 その女の子に見とれていると、担任の先生が入ってくる。
 軽く自己紹介。俺は水山健吾なので、順番はそこそこ後。考える時間はある。なんで自己紹介ごときで悩まなきゃダメなんだ。
 明るすぎる、暗すぎず、無難に行けばいい。趣味だよな、趣味。趣味は音楽と小説です。いや小説は地味だと思われるかな。いいやいいや。音楽だけ
で。
 やがて俺の番。ぎこちなく立ち上がり、名前を言い、趣味を言い、宜しくお願いしますと言う。そして座る。愛想笑いは人生で必要だよな。うん。
 そして女子の番。適当に聞き流し、そしてあの可愛い女の子の番である。
 ……立ち上がらない。キョトンとしている。
 先生が促すと、ハッとした顔になって凄い勢いで立ち上がる。
「ふ、藤野。じゃなくて藤崎奈実です。趣味はわかりません。宜しくお願いします」
 おう。なんという変わり者。自分の名前を間違える奴は初めて見た。そして趣味がわからないとは、なかなか自己紹介の新しい道を切り開いてくれる女
の子だ。
 藤崎奈実。可愛いし、今の変わった自己紹介は気に入った。面白い子じゃないか。うんうん。
 先生の話が終わり、今日は解散。
 俺は教室を出ると、廊下の人ごみの中で井出達也を見つける。
「水山。クラスはどうだった?」
「まだわかんないよ。誰とも話してないし」
「そうだよな。可愛い子いた?」
「いた」
 井出はニヤリと笑うと、さっさと歩き出す。さっさと玄関に行って靴を履き替え外に出る。
 校舎は中学校よりもでかい。そしてとにかく人が多い。見慣れない校舎を歩くのは不安だ。本当に俺、やっていけるだろうか。同じ中学の友達がいて心
底良かった。心強い。
 俺達は自転車にまたがり、校舎から出てすぐある下り坂を一気に駆けた。風が気持ち良い。今この風を忘れるのかな、俺は。
 空は青い。そして乱立する雑居ビルや大型ショッピングセンター。家、家、家。つまらん景色。楽しい景色なんて俺はあまり見たこと無い。そもそも景色
を見ても何も感じない。
 一度、草原で寝転がってみたい。どこまでも、地平線まで何もなくただ草原が広がるだけ。そんな所で音楽を聴いて過ごしてみたい。
「なぁ水山。さっきの可愛い子だけど」
「あぁ。藤崎って言う子なんだけどな、すっごい可愛いんだ。しかも、変わってる」
「どんな風に?」と、髪をなびかせながら井出が聞いてくる。
「自己紹介で自分の名前間違えた」
「本当か? そんな奴見たこと無い」
 そりゃそうだ。
 井出は興味深そうにしている。藤崎奈実。クラスが同じなのだから、話す機会はあるだろう。一度は話す場面になるだろう。それを俺は期待する。仲良
くなれなくてもクラスが同じなら、話すチャンスはある。それが些細な会話でも。
「アタックするのか?」
「無理無理。あんな可愛い女の子、俺なんか相手にされないよ」
「バーカ。いいか? みんな完全に他人同士だ。誰も人を相手になんかしてない時期。だからこそ、今だよ。早いうちからアタックしておけ。クラスで初め
て強い印象を受ける人間を、水山にするんだよ。簡単だろ?」
「簡単ではないだろ」
 俺はひたすらチャリを漕いだ。高校。琴別高校。中学とは一味違う三年間になるだろう。ていうか、こんな幼稚な高校生がいていいのか。俺は幼い。大
人なんて呼べない。ていうか数年前まで小学生だった俺がもう高校生。人生早い。
 信号で止まり、井出は自分の家の方向へ行った。「じゃあ、また明日」と言いながら手を振る井出。
 そう、明日。明後日。明々後日。どんなにこちらが不安でいても、日は進む。日常からは逃れられない。
 春。春といえば桜。よく入学式は桜ひらひら舞い散る季節などと言われる。出会いも別れも桜、桜。歌では多いね。入学、卒業イコール桜。
 でもな、桜の木なんか住宅地には無いんだよ! ましてや学校の近くに都合よく桜並木がある訳ないだろ!

 次の日。俺は教室でぼーっとしていた。
 今日から早速授業が始まる。先生が来るまでもう少し時間はある。教室は葬式状態。誰も話さない。ただ、一部同じ中学と思われる二人がボソボソと
話、活発そうな人がなんか喋ってる。そんくらい。
 俺はこれからどうなるんだろう。どういう人と出会い、どんな喜びや悲しみを感じていくのだろうか。中学が六年間続けば良かったのに。
 高校受験は、それなりに頑張った。遠くの高校には行きたくなかった。琴別高校は札幌市内でもレベルはそこそこ高い方で、進学校を名乗っている。し
かし、進学校と言うには有名な大学へ出ている人は多くない。なんとも中途半端な高校。
 なんだか教室は居心地悪い。どいつもこいつもだらけた顔して。本当にこの中に気の合う奴がいるんだろうか。こいつらと、遊んだり楽しくはしゃいだり
するのか? 信じられない。
 やがて先生が来て、色々と説明をして五十分経つと教室を出て行く。それの繰り返し。どんな先生かはまだわからないが、別に普通。目立つような先生
はいなかった。
 昼休みは携帯で時間を潰し、午後の授業もぼーっと過ごして一日が終わる。
 教室を出て玄関を出る。毎日、これの繰り返しか。うんざりする。
 駐輪場に行くと、そこには藤崎奈実がいた。
 心臓の鼓動が高鳴る。話し掛けろ。話し掛けるべきだ。行け。思い切って。でもダメだ。俺なんかじゃダメだ。つーか知らない人同士。いきなり男から話
し掛けられたら警戒される。でも井出の言葉を思い出す。今の時期だからこそ。
 それに、俺はこのまま悶々としてていいのか。高校生活一発、決めてみろ。俺はどんなつまらない日を送ろうとも、後悔だけはしたくない。自分の過去
を否定する人生は嫌だ。
 紺色ブレザー。緑と赤のチェックのスカート。風で髪がゆらゆら踊り、見とれそうになる。藤崎は俺から少し離れたところで自分のチャリに跨る。スカート
をよいしょと押さえて、いざ発進。
 目が合った。ヤ、ヤバイ。どうしよう。変に思われただろうか。藤崎は力強い目で俺を見つめると、やがてペダルを踏んだ。
 そして……。何故かこちらに突撃してくる。え? ちょっと待て。待て待て。藤崎はグングンとスピードをあげてこちらに向かってくる。そして目の前まで来
た。
「おい!」
 つい俺は叫んだ。両手で藤崎の自転車のハンドルを掴んで止める。結構な衝撃。周りの人たちが驚いてこちらを見ている。驚いてるのはこっちだバカ
野郎。高校生活初っ端からなんて事してくれるんだ。このアホ。
「水山君」
「あぁ……。うん、何?」
「こっち見てた」
「いや、たまたま目に入っただけで」
「何か用ですか!」
 と、藤崎は大きく、甲高い声で言った。
 うーん。これは予想以上の宇宙人かもしれない。藤崎は前かがみになり、腕をピンと伸ばしてハンドルを掴んでいる。短めのスカートから見える足は細
くて白い。
「私、藤崎奈実」
「え? あぁ、そう。俺は水山健吾」
「宜しくお願いします」
「あぁ、どうも」
 沈黙。え、何。この沈黙は俺が悪いのか。藤崎は何がしたいんだ。
 藤崎はキョトンとした顔で、小鳥のように首をかしげている。いきなり人に突っ込んできてそりゃ無いだろ、お前。
「えーと。ど、どこの中学出身なの?」
「琴別中央中」
 この近くの中学だ。
 とりあえずそう聞いたはいいものの、話が続かない。なにせ俺は地球人。宇宙人との接し方は知らない。
 でも、可愛い。話せただけでも嬉しい。変わり者でもね。変わった子は、他の人にない魅力がある。次、どんな事を喋るんだろう。そんな期待が生まれ
る。
 えぇい。もう、俺の高校生活、初っ端から賭けてやる。いきなりジメジメしててもしょうがない。俺はやるぞ。これまでとは違うんだ。
「ついでだから……一緒に帰る?」
 心臓が爆発しそうだ。
 藤崎は一瞬ピクンとしたが、少し考えた後小さく頷いた。
 聞くと、家は近いらしい。なので俺は自転車には跨らず、自転車を押して歩き出した。なるべく時間は長い方がいい。藤崎は自転車から降りて、トコトコ
と歩き出す。
 信じられん。さっきまで赤の他人だった女の子と、二人で歩いてる。とても現実とは思えない。でもこれは現実だ。
 いいのか。こんなんでいいのか、俺! こんなおいしい事していいのかっ。神様いいんですか? こんな幸運を許しちゃってもいいんですかい?
 と言っても、普通ならこうならない。それは藤崎が変わっているから。こいつが普通の奴なら、目合った時点ですぐに目を逸らして、軽く会釈して去って
いくのが普通だろう。
 でも、こいつは突撃してきた。ありえない。
 学校に何人かは、必ず漫画に出てくるキャラのような変人はいる。いやむしろ漫画以上に奇抜な変人もいる。そういう人に俺は一瞬で惹かれた。そして
今の幸運な偶然。
 何か話さないと。今楽しめるか楽しめないかで、後が相当大きく変わる。
「藤崎さんは……。琴別はどう思う?」
 そんなくだらない質問しか思いつかない。
「うーん。わかんない。みんな知らない人だし、不安なだけ」
 と、シャンプーの良い匂いを漂わせながら、綺麗で透き通る声で言った。
 いきなりまともな発言だなぁ。よくわからない子。
「友達は琴別にいる?」
「いるよ。幼馴染がね。赤城結花ちゃんっていうの。女の子なの」
 結花なんて名前の男がいてたまるか。
 藤崎は無邪気な顔で、その赤城という女について語りだした。背が高くて、気が強くて、でも優しくて。乱暴な所はあるけど、でも優しくて。口は悪いけ
ど、でもやっぱり優しくて。
 ニコニコしながらひたすら赤城について語る語る。俺には絶対わからないほどに、藤崎とその女二人は、強い友情で結ばれているのだろう。
「今度水山君にも紹介してあげるね。優しいんだよ!」
 ……なんか、俺の高校生活調子良くないか?
 いやいや。調子に乗っちゃいけない。
 日常は静かに、つつましく。おとなしく。俺に希望や絶好調なんて言葉は似合わない。なにせ俺は平凡で、なんのとりえも無い人間。期待することは好き
じゃないし、期待して何も無かったときは凄く悲しい。
 でも、藤崎と話せたことは素直に嬉しい。ちょっとは、色々と期待してもいいかもしれない。やさぐれたり、色々なことを悲観的に考えるのは、まだ早いか
もしれない。
 藤崎が話し終えると、また沈黙。藤崎はなにやら目をキョロキョロさせて、話題を探しているように見える。
 ここは俺が頑張らなければ。しかし話題は見つからない。
 と、ここで藤崎が止まった。
「私こっち曲がるの」
「あぁ、そっか。じゃあ」
「うん。バイバイ」
 その時、後ろからなにやら叫び声がした。振り向くと、一人の女が自転車で突っ込んでくる。女はチャリで突撃するのが好きなのか。おい。
「なーみぃっ!」
 その女はそう叫ぶと、俺の目の前で急ブレーキをかけて止まった。
「なにアンタいきなりデート? やっるじゃん。高校生活幸先良いって感じ?」
 なんだこのうるさい女。髪はボリュームがあってパーマをかけており、髪の色は所々赤い。背はでかく、多分百七十ちょいはある。大人びた顔で、唇は
リップクリームでてかり、見た目はギャルっぽい。
「ねぇアンタ。誰よ。なんで奈実といるの」
「それは」
「水山君。この人、さっき言った結花ちゃん」
 なんと。こいつが赤城結花が。おとなしめで大和撫子のような藤崎が、こんなギャルみたいな赤城と友達とは。意外である。本当に意外だ。
「アンタ水山っていうの。……六十二点」
 いきなり点数をつけられてしまった。失礼な女だ。
「水山から話し掛けたの?」
 一番答えたくない質問をしてきやがる。どうしよう。どうすればいい。ここで頷けば、俺は藤崎をひっかけたと思われ、面倒なことになる。
 どう答えるべきか。そう悩んでいると、藤崎が言った。
「水山君が、こっち見てたの」
 ふ、ふじさきぃーっ。
「うわっ」
 さらば俺の高校生活。灰色の生活が始まってしまうのか。赤城結花。こいつとは出会わなければ良かった。なんたってこんなやつと出会ってしまったん
だ。藤崎と仲良くなれればいいな。そう思っていたのに。藤崎の頭の中に、大人になってもそういえば水山という男と話した記憶が残ればそれでいいと思
ってたのに。赤城のせいで、せっかくの藤崎との出会いが台無しになってしまったじゃないか。
「ま、いいや。じゃあ奈実。帰りましょう。じゃあ水山。いきなりで悪かったね。じゃあ!」
 と言うと、二人して去っていった。何故か謝られてしまった。
 俺の高校生活、どうなるんだろう。マジで。

 翌日、俺は教室でまたぼーっとしていた。
 話す人がいない。みんな知らない人。休憩時間はただ黙る。教室はいまだに長いお通夜。沈黙を守っている。
 この居心地の悪さ。たまったもんじゃない。みんな警戒しているとまでは言わないまでも、落ち着かない。誰がまともで、誰と気が合いそうか探ってい
る。
 そして昼休み。暇で暇でやってられないと思っていると、藤崎がこちらに寄ってきた。
 皆が、チラチラと俺達を見る。興味津々な顔。見るんじゃねぇ。
「水山君」
「何?」
「ドアが見てるよ」
「はぁ?」
 ドアに目は無いぞ。そう思いながらドアを見ると、そこには井出とチビ女がいた。
 チビ女は幼馴染の飯島佳織であり、友達と言えば友達だが、そこまで仲が良いわけじゃない。小学校の時ずっと同じクラスで、中学でもたまに話す程
度だった。
 井出と目が合うと、ずかずかと二人で教室の中に入ってくる。
 なんだか、嬉しい気持ちになる。皆黙ってつまんない顔をしてるけど、俺はこの教室の中で、友達二人と話す。どことなく優越感。
「水山。いつにも増してつまんなそうな顔してるじゃん」
「健吾、なんか不満そうな顔。うけるー」
 と、二人続けて言うと、俺の目の前に立っている藤崎に視線が行く。
「えっと……」と、井出がちょっと困って言う。
「私は藤崎奈実です。趣味はわかりません」
 俺はお前がわからん。
 井出と佳織は困惑した表情になった。しかしこの二人、ちょっと変わった人を見ても嫌悪しない。どんな人でも受け入れて仲良くなろうとする良いやつら
だ。人を嫌うことをしないし、警戒もしない。俺とは大違い。その姿勢、見習うべきだな。
「井出達也だよ」
「飯島佳織です」
 佳織は小さくおじぎした。身長は百四十六センチしかなくかなりのチビで童顔。どこからどう見ても小学生。
 藤崎が笑顔で「どうも」と言い、大げさに頭を下げる。そして佳織が沈黙にならないように、どこの中学なのとか色々と質問をする。お得意のマシンガン
トークで場を盛り上げる。こういう友達がいて良かった。楽しいし、気まずくならない。
 しかしふと思う。こうやって、頼りになる人を見てぼーっとしているだけでいいのか。ちょっとは俺も率先して喋るとか、せっかく高校生になり、志望校にも
受かったんだし、少しはこれまでより明るく振舞うとか、人に対する警戒心をほどくとか考えるべきことはあるんじゃないか。卑屈に考えずにもっと砕け
て。
 頑張るという事を俺はしない。それでいいのかな。佳織を見て俺も色々と頑張った方が良いと思うし、藤崎を見て頑張りたいとも思った。
 話が弾んできたところで、「やっほほーい!」という叫び声がドアから聞こえる。ため息をついて振り向くと、そこには赤城結花がいた。ワイシャツは第二
ボタンまで開けていて、髪をガリガリと掻きながらドアによしかかっている。
 ずんずんと教室に入ってくると、何故か集まっている俺達を見てキョトンとした。
「アンタ、急スピードで友達出来てるね」
「え? えっと。うーん。うん?」
 藤崎は顔を少し赤くして、もみあげをくりくりといじりながらそう言った。困る質問だろうな。確かに楽しく話していたが、今会ったばかり。友達とはさすが
に言えないだろう。かといって違うとハッキリ言うのも変だ。
 赤城もそれに気づき、バツの悪そうな顔になった。
 でもな、藤崎、赤城。それなら友達になってしまえばいい。そしたら気まずくなんてならない。
 五人揃った。あっという間に揃った。俺はこの五人と、卒業まで一緒にいるような気がした。大人になっても、ずっと。
 高校生活は楽しいものになるかもしれない。期待感が出てきた。期待していいのか。いいんじゃないか。頑張ってもいいんじゃないかな。楽しもうと頑張
れば、人生良くなるのではないか。
 藤崎と赤城。そして昔からの友達である井出と佳織。この五人で、行ける。どこまでも。俺はそう感じていた。

 時は流れ、夏。
 期待通り五人は仲良くなった。そして夏にもなれば、クラスは活気づいてくる。そして俺は、普通なら地味な位置にいるはずだったのに、よく教室に遊び
に来る井出や佳織、そして派手系として既に有名になっている赤城と一緒にいるおかげで、クラスでは真中の平凡な位置を獲得できた。よく話し掛けら
れるようにもなった。
 嬉しい。でも、これは俺の力じゃない。俺の手でつかんだ平穏な日常ではない。みんなの力だ。一人じゃなくて、いつも五人でいたから、皆の俺を見る
目が悪くならないのは当然のことだ。友達の存在は大きく強い。
 俺は学校が終わると、藤崎と一緒に帰っていた。可愛い女の子と下校。俺は忘れない。大人になっても今の気持ちは忘れてなるもんか。
「ねぇ水山君」
 と、藤崎はニコニコしながら話し掛けてくる。いつも笑顔。その笑顔を見てると、心の開いた穴に優しく蓋をしてくれる。
 ただ、そんな藤崎とこれ以上親密になれるかという不安ともどかしさがある。それが俺を苛立たせる。藤崎はどっと近づいてきたかと思えば、急にてくて
くどこかへ行ってしまう。
「今度、遊ぼう。みんなで」
 俺は思い切って言ってみた。もうすぐ夏休み。
「二人で、どっか行かない?」
 心臓の鼓動が高まる。藤崎と始めて会った時以上に緊張している。
 藤崎はキョトンとした顔になり、突然歩くのを止めた。俺の顔をまじまじと見て、やがてぶつぶつと呟きだした。目はキョロキョロと動き、顔は少し赤い。
 風が強く吹いた。藤崎の髪がゆらゆらと踊り、俺の目線を奪う。
「え……。皆でいたほうが楽しいよ」
「俺と二人じゃつまらないか」
「そ、そんな事ないよ!」
 車が勢いよく走り去る。甲高い声は耳によく響く。
「でも。普通に皆と」
「俺と二人じゃ普通じゃないのか」
「な、なんでそういう事言うのさ! バカっ」
 バカと言われてしまった。藤崎が暴言を言うのは始めて聞いた。どんな事も、静かに見据えている藤崎。感情を高ぶらせない藤崎。変わってるけど面
白い女の子。
 俺はそんなに怒らせる事を言ってしまったのか。後悔したが、でも言わなくてはならない気がした。俺は少しでもいいから変わるのだ。日常は人それぞ
れ。日常は避けられない。ならば、俺はその日常を少しでも楽しもうじゃないか。でも楽しむには、色々と苦労はある。
「ダメなのか?」
 そう聞くと、藤崎は人差し指で唇を撫でながら、地面を見て考え出した。
 そして。
「わ、わかんないよ。水山君。わかんないよ」
「簡単な事だろ。二人で……」
 その瞬間、俺は腹に強い衝撃を受けた。何がなんだかわからなかったが、すぐに藤崎にローキックを食らったと理解した。
 あの細い足から繰り出されたとは思えないほど、痛かった。そして何故この状況で蹴られるのが意味がわからなかった。藤崎を理解するのは難しい。
 俺は蹴られた腹立ちよりも、とにかく何故蹴られたか。そして藤崎に蹴られたという悲しみの方が気持ちを強く支配した。
 藤崎は俺を蹴飛ばすと、走って去っていった。
 なんだなんだ。そんなに俺が気に食わないか。蹴飛ばすほど、気に食わないのか。
 もうわからない。藤崎の行動はいつも意味不明だ。チャリで突撃してくるし、蹴るし、趣味がわからないと言うし。おなかは痛いし、もう最悪だ。
 俺の日常は、こんなものか。俺に幸せは訪れないのか。自分の幸福の姿は想像出来ない。

 数日、藤崎と全く話さない日々が続いた。それにすぐに気づいたのが赤城である。
 赤城は、日曜日の朝突然メールをしてきた。コロポック・コタンに来いと。コロポックル・コタンとは喫茶店であり、ここから結構遠いのだが、その喫茶店
はコーヒーがとてもうまい。本当にうまい。どんなに遠くても行く価値はある。例えブエノスアイレスにあろうがブラジルにあろうが、飛んで行っても行く価値
はある。
 でも実際には、地下鉄に十五分ほど乗って大通りで降りて、ちょっと歩けばいいだけ。遠いなんて感じない。
 俺はチャリで駅まで行き、地下鉄に揺られて大通りについた。
 駅から出て地上に出る。地下鉄もそうだが、とにかく大通りは人が多い。これが駅前や狸小路商店街に行くと呆れるほどの人込み。
 どこ見ても人、人、人。店、店、店。だから札幌は都会だと思っていたが、東京や大阪はもっと凄い。俺は人込みが嫌いだ。なんだかせわしないし、なん
だか日常からぽーんと投げ出された気になる。一人でいると孤独も感じる。
 大通り公園を目指す。すぐそこに見えているのに、信号がやたら長い。だから都会は嫌なんだ。
 信号を渡り公園の敷地に入る。噴水で少し心を癒される。草原で寝転がる人、ベンチでぼーっと空を見ているカップル。楽しそうに歩く女の子達。
 テレビ塔まで歩くと、赤いエクステをつけた赤城がいた。背がでかく目立つから探しやすい。
「遅い」
「突然メールしてきて待ってるから早く来いなんて、あんまりだ」
「それでもすぐに来るのが男でしょ。おーとーこ!」
「それが男だと思ってるんなら、お前は男を勘違いしてるな」
「うっわ。ほんと理屈っぽーい。まぁいいや、行くわよジメ男」
「お前ふっ飛ばすぞ」
 そんな会話をしながら、コロポックル・コタンを目指す。この喫茶店は中央区、北区、西区の境目にある。遠いような近いような。しかし赤城は元気に歩
き続ける。
 赤城は胸元が大きく開いた白色の派手なデザインのカットソーに、ショートパンツというなんともラフな格好で来た。胸にはネックレス。耳にピアス。腕に
はブレスレット。そしてブランドものの鞄。まぁパチモンだけど。ラフはラフでも、赤城が着れば様になる。
「ねぇ水山このエクステどう? ね、カラコン今度入れるの。入れたら写メ送るね。あ、そうだパーマやめてストレートにしようと思うんだけどどうしよう? 
あと、夏休み金髪にしようかと思ってるの。でも私は赤もいいなと思うの。金と赤どっちがいい?」
「俺はどの質問に答えればいいのかな?」
「水山もさぁ、なんか髪型変えるとかさぁ。ね?」
「別に」
「暗いっ。暗くないけど暗い!」
「どっちだよ」
「なんかねー。明るさ四十七点つーか? 別に普通なんだけど、どっちかと言われればまぁ暗いかなみたいな。あ、着いたよ早く入ろう」
「ちょっと待て。今の暗いっていうのは少し傷ついたんだけど」
 赤城は無視して店内に入る。
 店は木造で円形。店内も木であり、店の中央にドーナッツ状のテーブルがあり、出入り口から真正面の奥に、カウンターがありマスターらしき人がい
る。椅子も机も木。
 美人な高校生らしいウエイトレスに連れられて、一番左奥に案内される。
 俺はカフェオレ。赤城はブラックとチーズケーキを注文する。
 すぐにコーヒーとケーキが運ばれてくる。一口飲む。あぁ、うまい。幸せだ。天国にもここまでうまいコーヒーはないだろう。羨ましいだろ天使達。
 赤城はフォークでケーキを崩すと、俺をじっと見つめた。大きい目は、俺を吸収してしまうんじゃないかと思うほどにエネルギッシュ。
「アンタ、奈実と喧嘩したでしょ」
「まぁ、ね」
「なんで?」
 え、それ言うの? いや当然言わなきゃならないだろうが。
 でも正直に言うのは恥ずかしい。ましてや藤崎の親友である。赤城は藤崎のためならなんでもする。それほど二人の友情は強い。鋼の友情である。
「その……些細な口論で」
「泣かしてないでしょうね?」
「いや、それは」
「アンタ、奈実泣かしたら……」
 殴るからね、とか言うんだろう。どうせ。
「奈実に殴られるからね」
 コーヒーを噴出しそうになった。なんだって?
「奈実怒ったらこっわーいからね。で、結局なんで喧嘩したのよ。ほら、お姉さんに言いなさい。ん?」
 赤城は足を組替えて、机に頬杖をついた。舌をペロっと出して、唇を舐める。笑顔。赤城は大人びた顔だが、笑った顔はとても子供っぽい。
「けーんごくん。ほらほら。言いなさいよ。あーん」
 と言って、赤城はチーズケーキをフォークで刺し、俺の口の前でひらひらと躍らせる。
 面倒なのでぱくりと食べる。
「アンタは金魚か」
 赤城はそう言うとブラックを一口飲む。
 どうも赤城にはからかわれてばかりである。俺が意地になるから面白がられているのか。そうかもしれない。
「笑うなよ」
「笑わない保証は無いよ。笑わなかったとしても、私は上っ面な意見は言わないし、ハッキリと言わせてもらうよ」
 だから俺はお前と仲良くしてる。
「その……。二人で遊ぼうって言ったら、なんか藤崎戸惑っちゃって」
 俺がそう言うと、赤城は表情を変えずにケーキを口に放り込んだ。
「それで?」
「え。いや、それで……。喧嘩した」
「ふむふむ。なーるほど」
「何がだよ」
「奈実はわからなかったのね」
「何が?」
「鈍いなぁ。奈実は二人で遊びたいのか、みんなでこれまで通り遊びたいのか。別にどっちも良いんだろうけど、二人で遊ぶっていうことが、よくわかんな
いんでしょ」
「わかるような、わからないような」
「だーかーら。奈実は二人で遊ぶのは嫌じゃないんだけど、でも二人で遊んだら今後どうなっちゃうのか、わからないんでしょう。皆と遊ぶのは楽しいし、
二人で遊ぶのも楽しいんだろうと思う。でも、二人で下校と二人でカラオケは違うでしょ。色々と考えてごちゃごちゃになっちゃったんでしょ」
「それで俺はローキックされたのか」
 俺がそう言うと、赤城はクスっと笑った。笑い事じゃないぞ、おい。
「そっか。多分頭の中のごちゃごちゃが爆発したのね。痛かったでしょ」
「そりゃあもう」
「悪気は無いから許してあげて。奈実、嫌だったら嫌と態度で示すはずだから。結局、アンタ次第よ。奈実は嫌がってないとは思うから、水山がどう接す
るか」
「それがわからない」
「どうすればいいか、私が考えることは出来るけどね。それは自分で考えないと意味ないでしょ。私に頼ったって、何も解決しないし、その場しのぎよ。自
分で考えないと一歩先には進めないから」
 一歩先へ。俺はこれまでどれだけ進んだのだろうか。ただ体だけ大人になり、精神的にもまぁ成長しているだろう。でも本当に根本的な所は成長してる
か。
 何かが変わったか。大きく価値観は変わったか。努力しようと思う気持ちは出来たのか?
 俺は自分が好きじゃないままここまで来た。いつか読んだ本に、自分を好きじゃない人は他人なんか好きになれないと書いてあった。確かにそうかもし
れない。
 自分を理解出来てないのに、いや理解しようとしてないのに、他人を理解出来るか? 出来ない。でも自分は好きになれない。そんな良い人間じゃな
い。
 でも俺は全て決め付けているんじゃないのかな。梅雨は憂鬱で、吹雪の日はうんざりで、藤崎とこれ以上仲良くなれないし、俺は何者にもなれない。
 それ、本当か? 俺は自分に問い掛ける。本当に梅雨の日は憂鬱な一日なのか。藤崎とはこれ以上、何もないのか。
 何かあるか、無いか。何かが変わるか、変わらないか。それは俺次第で代わる。未来は変えられると言えば青臭いが、高校生である今なら、青臭い事
言っても許される。今なら何をしても、大人とくらべりゃ被害は少ない。
 大人になって家庭を持ってから夢を追えるか? 平凡な家庭という日常を手にしてから、夢を追えるか? 追えないんだよ。俺達は今しか出来ない
色々なものを握ってる。そう、握ってるんだ。
 今やらなきゃ、何も出来ない。大人になったら、きっと藤崎は結婚してるぞ。俺のことなんか、記憶の片隅にしかないかもしれない。自分が動かなきゃ、
積極的にならなきゃ、俺の人生は予想通りのつまらない人生で終わるぞ。そんな日々を送って死んでいいのか。
 良くない。俺は変わりたいし、何かになりたい。なれるかもしれない。自分を好きになれるかもしれない。
「赤城。今日、藤崎は暇かなぁ」
「暇じゃないわよ」
「そうか……」
「だって、もう少しでここに来るもん」
「は?」
「奈実と約束したの。この時間にコロポックル・コタンで会おうってね」
 俺はつい苦笑いをする。赤城は良い奴だ。良い奴が友達なだけでも幸せと言える。心底そう思う。
 突然、赤城は「うっ」とうなると、おなかを押さえた。
「お、おなかが痛いわ。ううっ。ううーっ。う、産まれるー!」
 そう叫ぶと、赤城は走って店を出て行った。
「……おい! お前、人に感謝させといて、きっちり俺に奢らせてんじゃねー!」
 赤城はドアを開けて振り向き、舌をペロっと出して出て行った。ちきしょう。最初から金払わないでさっさと出て行く予定だったのか。だから一番高いケー
キを頼んだのか。
 ちきしょう。俺はこんなにも赤城に感謝しながらも、悔しさを感じなければならないのか。
 こうなったらヤケである。
「マスター。イトゥラコーヒーを一つ!」
 イトゥラコーヒーとは、この店名物のコーヒーであり、コーヒーの中で一番高い。高級な豆を使い、マスターが十年かけて開発したコーヒーだと聞くが、相
当噂に尾ひれがついていると思う。
 しばらくして、藤崎がやってきた。イトゥラコーヒーは半分になっていた。
 藤崎は黒色の可愛らしいデザインのワンピース。頭には白色のティアラ。模様は気持ち程度あるだけで一見地味だが、サラサラストレートヘアーにそ
の白色ティアラはよく似合っている。
 ワンピースから出る細くて白い腕と足と肩。見とれるなと言う方が無理な話だ。今の藤崎はあまりにも可愛すぎる。小さい顔。薄い唇には口紅。薄いマ
スカラ。プリンセスカットの長いもみあげ。リスみたいな瞳。ちょっとしたどこかのお姫様みたいだ。
「水山君……?」
 藤崎はそう呟きながら席に座ると、小さい鞄を机にちょこんと置いてお行儀よく座る。そして俺と同じくイトゥラコーヒーを注文する。
 すぐにイトゥラコーヒーが運ばれてくる。藤崎は一口飲むとうつむいて、手遊びに熱中し始める。
「なぁ、藤崎」
「結花は?」
「さっきまでいた」
「なんでいないの」
「産まれるんだってよ」
「何が?」
「子供」
「結花ちゃんは子供産まないって言ってたよ!」
 微妙に突っ込む所がずれてる気もするが、気にしない。
「帰っちゃったんだよな。それはいいとして」
「良くないよっ。オシャレな格好見せてって言うから、気合入れて来たのに」
 赤城の野郎。なかなかやってくれるじゃないか。でもありがとう。
「いいじゃん。凄く似合ってるし」
 俺がそう言うと、藤崎は顔を真っ赤にして、また手遊びに熱中しだした。
 男、水山。ここで頑張らないでいつ頑張る。テストなんかで頑張ったことは無いし、今後も頑張らない。そんなもの、俺の日常には関係ないしどうでもい
い。人間大事なのは、まさにこういう時である。
 ジメジメしてたらダメだ。動け。動くのだ。車だって動かなきゃただのでかい塊だ。俺はただの塊にはなりたくない。
「前、急に変な事言ってごめんな」
「あ。わ、私もエルボーなんかしてごめんね」
 お前はローキックはしてもエルボーはしていない。突っ込まないけど。
「ただ、藤崎と二人で遊ぶのも良いかなって思ったんだよ」
「う、うん。ごめんね、ごめんね」
 そんなに謝られると罪悪感がどんどん出てくるじゃないか。
 藤崎は足をぶらぶらさせだした。口をもごもごさせている。……何か言いたいことがあるのかな。
 ここは俺が気を使わなければ。えぇと、そうだな。
「何か言いたいことあるのか? 遠慮せずに言えよ」
「じゃあ言うね」
「おう」
「トイレ行って来る」
 ずっこけそうになった。藤崎は席を立つと、てくてくとトイレに行った。
 すると、他の客にコーヒーを運んでいたウエイトレスと目が合った。そして何故かこちらに近づいてくる。
「君、女の子は大事にね。二股なんて、ダメよ!」
 お前、このコーヒーぶっかけたろうか。
 俺よりちょい年上と思われるウエイトレスはそう言うと、スタスタと去っていった。マスター、あのウエイトレス失礼ですよー!?
 藤崎はしばらくして戻ってくると、せわしなく椅子に座った。
「あ、うん。考えた」
「何を?」
「遊ぶ。うん、遊ぼう水山君。あの時は深く考えすぎてたけど、水山君となら私、いいよ」
 人生最大の満足感と幸福感。
 藤崎となら俺はどこでも行ける。他の女の子なんて考えられない。藤崎になら自分の全てを話せるし、なんでも見せれる。言える。出来る。
 この子が本当に好きだ。改めてそう思う。

 二年生のある日の日常

 日は進み、俺は二年生になった。
 家の近くにも学校の近くにも桜の木は無い。当然入学式も卒業式も無い。あまり春という実感が湧かない。ただ、気温だけがぽかぽかと暖かかった。
 二年生になれば、そろそろ進路について考えだけでもまとめておいた方がいい。そうは思うけど、俺はとにかく音楽を聴きまくって過ごしていた。
 過去の記憶は音楽の記憶である。あの時あの場所で聴いた曲。下校時に一人で聴いた曲。クラスの人は誰も知らないマイナーな歌手のお気に入りの
曲。クラスで自分しか知らない良い曲。俺は、この曲を知ってるんだぜ。そんな優越感を感じながら音楽を聴いたりもする。
 でも、人生はただ音楽を聴いてるだけじゃ生きてけない。良い音で聴くためにオーディオを揃えるのもいいが、俺も含めてみんな、そろそろ辛い現実を
見つめなければならない。
 進学か、就職か。俺は迷わず進学を選んだ。
 勉強は嫌いだけど、それでも俺は就職まだ早いと感じた。だって幼すぎるから。自分が社会で仕事したり、車を運転する日が来るとは思わなかったし、
想像も出来ない。俺はイメージ出来ないことはあまり信じない。
 とにかくこんな幼稚では社会には行けない。だから進学。
 となると大学か。専門学校か。どうしようかなと悩んでいる。
 ゴールデンウィークを間近に控えて、どことなく心が浮ついてるとき、事件は起きた。平穏な日常は突然崩れる。退屈な日常の延長線上には必ず非日
常が待ち構える。
 昼休み、なにやら廊下が騒がしいことにすぐ気づく。
「水山君」
 俺がなんだろうなと思っていると、藤崎がてくてくとやってきた。二年生になると、俺は藤崎、赤城と同じクラスになっていた。
「廊下が楽しそうだね」
「楽しいかどうかは知らんけど……。俺はあんまり興味ない。野次馬みたいに見るのは好きじゃない」
 その時、甲高い声で「死ね!」という絶叫が聞こえた。
「今の声……」と、藤崎が呟く。
「赤城か!?」
 確かに今の声は赤城である。クラスの人たちのほとんどが、どうしたどうしたと廊下を覗き込んでいる。
 俺と藤崎は廊下に出て、驚いた。藤崎は目をパチクリさせている。
 廊下には数え切れない人数の生徒達が取り巻いていて、その中心に先生が沢山いて、物凄い形相で先生達を睨む赤城がいる。そして赤城の背中に
は、何故か佳織がぶらさがっている。
 ……はて。このシチューエーションはなんだろうか。
「おい赤城。お前何してんだ」
 俺がそう聞いた瞬間、気づいた。赤木の後ろ髪が変にパッツンになっている。
「何って、こいつ私の髪無理やり切った!」
 なんと。赤城は目の前にいる平野という教師を睨む睨む。
 生徒の髪の毛を無理やり切る。そんな奴、蹴り飛ばしても誰も文句は言わない。世界中の人間が赤城に暴れるなみっともないとか言ったとしても、俺
は当然赤城の味方である。
 教師達は呆れた顔をしてる奴。見下した顔でみる奴さまざまである。佳織がなんとか背中にしがみついて赤城を止めている。
「ゆ、結花! 落ち着いて」
 俺はどんどん頭に血が上っていくのを我慢した。こんな理不尽、さすがの俺でも許せない。なんで普通に学校生活を送っているのに、髪を切られなきゃ
いけない。平野は何様なんだ。
 赤城はシマウマを狩るチーターのような目つきで平野を見る。ヤバイな、と思う。今の赤城なら殴りかねない。そしたら停学もしくは退学だ。
 そんなのダメだ。バカな大人のせいでお前がそんな目に合う必要ない。
 藤崎が駆け出して赤城に飛びつく。しかしタッパのある赤城を止めれない。俺は人込みをかきわけて飛び出してきた井出と一緒に赤城をひっつかみ、
なんとか下の階まで連れて行った。
 幸いだったのは、生徒みんなが教師をゴキブリを見るような目で見ていたことである。
 赤城は廊下にぺたんと座ると、泣きそうな顔になり両手で顔を覆った。藤崎と佳織が頭を撫でて落ち着かせるが、どうしていいかわからない様子であ
る。
 赤城は確かに後ろ髪がちょいと長いが、常識で見れば普通である。だが学校の常識は世間の常識ではない。世間がオーケーと言っても、学校がノー
と言ったらノーなのだ。それは会社でも同じ事だろうが、物事限度があるし、どんな理由があろうとも人様の髪を切るなんて許されない。子供にとって命と
友達と髪の毛は同価値なのだ。
 教師は勘違いしてる。お前ら神様でもなんでもないただの人間だ。生徒と同じ人間だ。暴力で押さえつけるのが教育だと言うなら、教育なんて無くなって
しまえ。
 井出は真剣な目で赤城を見ている。何を考えているんだろうか。やがて井出は上の階へ戻っていった。着いていく。
「おい。どこ行くんだ」
「抗議しに行く」
 俺達が抗議した所で果たして意味があるかどうかはわからないが、しない訳にはいかない。
 廊下では、まだ平野たちがなにやら話していた。井出がガンを飛ばしながら平野に聞く。
「おい。なんで髪切ったんだよ」
「髪長いから切れと言ったのに、あいつは長くないと言い張って切らなかったんだ。だから切った」
「それはおかしいだろ。自分が何したかわかってるのか」
 井出は抗議するが、教師達は俺達を呆れ顔で見て、職員室に戻って行った。顔に今時のガキはどうしようもないアホばかりだなと書いてある。
 悔しい。なんで赤城があんな目に合わなきゃならない。
 俺はもう、こいつらが謝っても許すことは無い。

 放課後。藤崎と井出が赤城を家まで送った。そして俺は、佳織に誘われて何故かドラッグストアにいた。
 学校近くにある琴別タウンには、色々な店が集まっており、飲食店から百円均一から雑貨まで一通り揃っている。何故、ここに来る必要がある?
「佳織。お前、ムカつかないのか。ここに来てる暇あるのか」
 俺は怒りが収まらず、延々と愚痴を言っていた。しかし佳織は愚痴や悪口は何も言わず、ただ歩いている。百五十センチも無い体で、必死に赤城にし
がみつき、顔を真っ赤にして「ダメだよ。ダメだよ」と叫び続けた佳織。
 悔しくないのか。何か言いたくないのか。
「おい、佳織」
「うるさいなぁ。愚痴言ったって結花はなんとも思わないよ。今私達がするべきは……」
 と言って、佳織はシャンプーとリンスのコーナーで足を止めて、一つのシャンプーを手に取って、俺に突き出した。
「なんだこれ。やけに高いけど」
「これ、髪が早く伸びるシャンプー。あんまり知られてないけど、今はこういうのも売ってるの。結花自慢のパーマ切られて、しかも短くなったでしょ。あの
長さは結花に似合わないもん。でも、これを使えばなんとか早めに元通り」
 俺は愕然とした。自分はただ悪口を女々しく言う事しか出来なかったが、佳織はそんな事言わずに、どうしたら赤城がショックから立ち直り、元通りの髪
になるかを考えていたのだ。
 俺は友達をちゃんと思っていなかったのか。佳織のように、状況を改善しようとは思えなかったのか。思いつかなかったのか。自分が腹正しい。平野よ
りも、自分が嫌で嫌でしょうがない。
 佳織は自分で買うと言ったが、俺もお金を出した。割り勘でシャンプーを買うと、佳織は次に隣の本屋へ行った。
「次はなんだ?」
 俺が聞くと、佳織は出入り口の近くに置いてあるホットペーパーを手にとった。
 パラパラとめくり、「あった」と呟く。
 覗きこむと、そのページには美容室の割引券が載っていた。佳織は店を出ると、割引券をページからピリピリと破り、スカートのポケットに入れた。
「カットこれで安くなる。しかもここの美容室、腕はかなりのもんよ。そしてこのシャンプーを使えば、早いうちに元通り。これで結花の傷が少しでも消えれ
ばいいんだけど」
 佳織は最高の友人だと思った。俺なんか、なんにも出来なかった。佳織は腹を立てるよりも、赤城が暴力を振るわないように押さえて、髪の毛の事をと
にかく考えた。
 俺はダメだ。なんでこうなんだろうか。自分が不満である。
 俺達は無言で赤城の家に行った。親に赤城の部屋にあげてもらうと、藤崎と井出がいた。
 赤城はベッドにもぐりこんで姿を完全に隠しているし、藤崎と井出は困った顔でうつむいている。ここまで赤城が落ち込むのは見たことが無い。どんな
事もポジティブに考え、誰よりも強く生きている赤城が。平野達は、この赤城を見てどう思うか。多分、大げさな奴としか思わないんだろうな。とんでもない
連中である。
 佳織はベッドにもそもそと潜り込むと、赤城は「わっ」と小さく叫んだ。そして佳織はシャンプーと割引券を見せて、いかに美容室がうまいか、いかにこの
シャンプーが凄いかを説明した。すると赤城は毛布からひょこっと顔を出した。目が合う。赤城は、ぎこちない顔で笑った。
 そうだそうだ。笑っているのが赤城結花であり、落ち込んでいる赤城なんて赤城じゃない。
 俺達は少しして家を出た。藤崎が呟く。
「あんなに暴れたり落ち込んでる結花は始めてみた。優しい子なのに」
「誰だってキレるさ」と、井出が呟く。
「でもあれはないよね。後ろ髪、完全に直線おかっぱ状態じゃない。多分、ハサミを横からスパーンと入れて一気に切ったんだよ。平野はバカだよ、バ
カ。大バカ」
 佳織が初めて平野をけなした。やる事やってから、悪い奴の悪口を言う。
 暴言言う暇あったら、まずは傷ついてる人を助ける。助けたら、やっと胸の中の腹立ちを口から出す。正しいと思う。俺はまず何をすべきかを考えなけ
ればならなかったのに。
「あんなの、虐待じゃないか。よく他の教師は何も言わなかったな」
 井出が石を蹴り飛ばして言うと、藤崎が小さく口を開いた。
「平野が悪いと思っている教師がいても、教師同士かばいあうに決まってるじゃん。生徒の味方して他の先生否定したら、自分の立場とか今後、色々と
面倒だし不利な立場になるじゃん」
 藤崎の言う通りである。そんなもんだよ、結局。
 赤城は、三日間休んだ。ショックを受けてるからしょうがない。それに髪をさっさとカットしてまともな状態にしないとダメだし。
 俺は教師が憎くなった。ただ、俺は知っている。朝、なんとなく担任の出席名簿を見ると、担任の先生はこっそりと赤城が休んだ三日間を公欠扱いにし
ていた。そして担任は赤城が休んでいる日、希望すれば学校から美容室代を払うぞと俺に言ってくれたが、断った。そんな事したら、赤城のプライドに傷
がつく。
 でも俺は、その話だけは赤城にした。あいつは結構嬉しそうな顔をした。
 担任は平野を否定するような事は言わなかったが、公欠扱いにしたこと、代金を学校から払うとハッキリと言った事から、平野を否定していて、なおか
つ赤城に同情しているという事がわかる。
 それでいい。確かに教師からしたら、あからさまに否定するような発言は出来ないだろう。でも俺達に味方する気持ちを抱いてくれただけで俺達の怒り
は幾分収まるし、赤城も学校にいつも通りの笑顔で来れる。
 悪と善を知った高二の春だった。春はさっさと終わりゴールデンウィークが来て、中途半端な六月を終えるともう夏が来る。
 進路はどうしようか。悩んでしまうが、この担任なら良いアドバイスをくれそうである。人生は複雑でやりきれない事もあるが、善人がいる事を忘れては
いけない。悲観的になりすぎてはダメだ。なんとか自分を奮い立て、前に歩いていかなければならない。
 俺は佳織のように考えることが出来なくて、自分に不満を持った。でも不満があるなら、直せばいい。なにせ俺はまだ高校二年生。失敗が許されるし、
まだまだやり直しが出来る年齢。失敗し、反省し、改善する。立ち止まり、また歩き出す。そうして人間は成長する。
 俺の日常は、まだまだ続く。死ぬまで続く。

 三年生のある日の日常

 三年生になり、夏が終わり秋が来た。もうマジで進路を決めなければ。いやこの時点で決めてなければならないのだが、俺は決めていなかった。無難
に大学に行くべきか。しかし、今は内定が取り消される時代だ。じゃあ夢を求めて、なりたい職業に必要な資格を取るため専門学校に行くか。でもそれだ
と安定した職業に就けるかは疑問だ。
 俺は学校帰り、井出と学校近くのジャスコをふらついていた。
「水山。お前、誰がいい」
「誰って?」
「藤崎か、赤城か、飯島。あ、お前は聞くまでもなく藤崎か」
「お前は?」
「俺は飯島。ちっちゃくて子供っぽくて色気は無いけど、芯はしっかりしてるし、なんか可愛げあるし」
 井出は佳織が気に入ってるのか。つーか、佳織はモテる。誰とでも仲良く出来るし、とにかく良い子だ。
「でも、もう卒業だしなぁ。卒業したら会いにくくなるし、色々考えちゃうな」
「まぁな。佳織は、カメラマンになるために専門行くってさ」
「カメラオタクだもんなぁ。藤崎と赤城はなんだっけ」
「二人とも美容関係の専門」
「お前は?」
「未定」
「どうすんだよ」
「お前こそ」
 井出は苦笑いした。
 大学。そもそも、俺は推薦は無理そうだし、学力で行くとなると相当な努力が必要だ。やはり試験の無い専門か。
 どうしたもんか。
「無難に大学か、なりたい仕事目指して専門。どっちがいいと思う?」
 そう聞いてみたら、井出はキョトンとした顔で言った。
「専門に決まってるじゃん。なんで悩むの?」
 あっさりそう言われてしまった。大事に作った模型を涼しい顔で壊された気分。模型作ったことないけど。
「なんでそんな簡単に」
「だって、なんでせっかく生まれてきたのに無難な道選ぶんだよ。やりたい事やりゃあいいじゃん」
 それはわかってる。レール通りのつまらん人生は嫌だ。生まれて、学校行って、卒業して大学行って、なんか適当な会社に勤めて、良い人がいれば結
婚。子供が出来る。そして数十年ひたすら家と会社の間を行き来する。で、死ぬ。
 それは嫌だ。怖い。そんな普通の人生は望んじゃいない。そしてそういう普通の人生が嫌だと思えるのも今のうちだろう。大人になればなるほど臆病に
なるし、保守的になる。
 今なら自分のなりたい職業を目指せる。でも、大人になって家庭を持ったが最後、身動き出来ない。奥さんと子供をほったらかして夢を追うなんて事出
来ない。
 でも、今は違う。今は夢を追いかけれる。追いかける年齢だ。それに夢を追って失敗しても、被害を受けるのは自分だけ。
 後悔はしたくない。俺は後悔も未練も残したくない。
「お前、なりたい仕事あるんなら目指せよ。やりたい事目指せるチャンスは今しかないぞ。今十八歳だけど、もう二十歳になって気づいたら三十路へ一直
線。あぁ、恐い恐い」
 俺が三十路? 想像も出来ない。自分の子供なんてもっと想像出来ないぞ。結婚相手だって……。
 一瞬藤崎が顔に浮かんだ。藤崎となら結婚してもいいと思える。それ以外の女と結婚なんて馬鹿馬鹿しい。
 つーか、俺は子供だ。小学生のときは、十八歳くらいになれば完全に大人で、くだらない事なんてしなくなると思ってたけど、なんのこっちゃない。基本
的には大して変わらない。
 赤城と藤崎は十八になっても、授業中消しゴムを俺の頭に投げてからかってくるし、佳織はバイト代が安くて良いカメラが買えないとか言ってぐずるし、
井出はたまにコロコロコミックを立ち読みするし。さすがに買わないけど。
 でもそれが楽しくてとても普通な事だと思う。
「お前の言う通りかなぁ。専門にしようかな」
「そうしとけ。こう言ったらあれだけど、お前が候補にしてる専門学校って書類審査だけだろ。楽じゃん。それに何度も言うけど、やりたい事を目指すのが
絶対良いって。目的も何もなしに、ただ安全そうだからとかそういう理由で大学行ってもしょうがないぞ」
「そうだな。よし、俺は専門行く」
 決めた。悩みつづけたけど、井出に言われてあっさりと決めた。今は九月の中旬。十月の一日から専門学校の願書受け付けが始まる。
「……で、結局お前は?」
「さぁ。まだ考えてるけど、俺も同じく専門が第一候補かな」
 井出はそう言うと、「あ」と呟いた。
 どうしたんだと思ったが、前方に藤崎を見つけた。
「水山。俺今突然足の骨が折れたから病院行くわ」
 そんなくだらない事を言うと、井出はさっさとエスカレーターに乗って一階へ降りていった。
 藤崎は、ピリカメノコという雑貨屋に入って行く。この店は一応雑貨屋だが、どこにも売っていない怪しいグッズが沢山ある。普通のCD屋には無いよう
な珍しいCD。かなり危ない内容の本。変わったお菓子。変なおもちゃも沢山あり、ドラゴンボールはこの店で簡単に手に入る。その他海外から輸入した
珍しいグッズなどなど、見ていて飽きないものが多い。
 俺もピリカメノコという店に入る。
 藤崎は財布やネックレスなどが飾ってある所にいた。
「藤崎」
「わ! 水山君。どうしてここにいるの」
「暇つぶし。で、藤崎見つけたから」
「そうなんだ。ねぇねぇ、ねぇ」
「なに?」
「これこれ。これこれ。これ見て見て」
「お前は言葉覚えたての赤ちゃんか」
「このネックレスさ、カッコよくない?」
 藤崎は十字架のネックレスを手にとり、俺の顔面にくっつけてくる。感想を言いたいのは山々だが、視界を封じられて見えない。
 ネックレスをひっぱがすと、藤崎はぐいーっと限界まで顔を近づけてくる。近い。息が鼻に吹きかかる。
「ねぇ。これ良いよ。すっごーく良いの」
 と言って、首にかける。
「どう?」と、髪をかきあげながら首をモデルのように斜め後ろに振って言った。
「制服じゃあいまいち似合わないからなんとも……。でも、ちょっと大きすぎるかも」
 俺がそう言うと、藤崎はネックレスを棚に戻す。場所が違うのでさりげなく元の場所に戻す。
 藤崎はスカートをぐいぐいと上にあげて、いつもより短くしながら次は財布を物色する。
 ふとサングラスが目に入ったので、黒色のサングラスを手に取る。
「藤崎」
「なーに?」
 俺は藤崎の頭を左手で押さえながら、右手でサングラスをかけてみた。似合うような似合わないような。でもやっぱ似合わない。私服を着ればまだ様に
なるかもしれない。
「なんか暗く見えるー。水山君が黒山君だ」
「うまくもなんともないからな」
 サングラスを戻すと、藤崎はひょろひょろ本のコーナーへ行く。ついていくと藤崎はかなり危ない内容の本を見るとハッとした顔になり、逃げるようにそ
の場から去り、美容関係の本の前で止まった。
「お前、美容の学校行くだろ」
「うん。ネイルとか。ほらほら、今日もネイルったの」
 ネイルったという言葉は多分マイブームの言葉なんだろう。藤崎は自分で「じゃじゃじゃーん」という効果音をつけて、両手をビシィっと突き出して見せて
くる。オレンジ色のネイルは確かに綺麗だ。
 ふと思う。藤崎はどんどん綺麗になっていく。ただでさえモテる。ちょっと変わったところが無く、恋愛に興味があれば更にモテていただろう。
 しかしこのままどんどん綺麗になれば、世の男が放っておくわけが無い。でも俺は別にカッコ良くないし特技もこれといって無い。他の男に勝てる自信
がない。でも藤崎だけは他の男子と付き合ってほしくない。ちなみに藤崎は、まだ付き合ったことが一度も無い。
「ね、綺麗?」
「うん。綺麗だよ」
 俺がそう言うと、飾ってある指輪を手に取った。
「あっ。この指輪なんか綺麗」
「確かにそれはセンス良いな。……なぁ、お前誕生日いつだっけ」
「十日後」
 値段を見る。四九八〇円。ま、まぁ許容範囲だ。
「じゃあ、これ誕生日プレゼントで買ってあげるよ」
「えっ。いや、大丈夫だよ。こんな高いもの悪いよ。私は水山君からのプレゼントならチロルチョコでも嬉しいよ。いや、それはさすがにちょっと嬉しくない
けど、でもとにかく悪いよ。なんか私せがんだみたいでごめんね」
 と、藤崎はまくしてた。でも俺はもう決めたんだ。
「これ嫌だ?」
「嫌じゃないよ。凄く可愛い。でも、悪いよ」
「誕生日だろ」
「で、でもでも。こんな高い指輪」
「いいよ。どうせいつかもっと高いの買うし」
 ……はっ。俺何を口走ってるんだ。あーっ、もう。いいや。ヤケだヤケ。
 藤崎の顔は紅潮しているが、照れたように笑った。
 俺は指輪をレジに持っていき、買った。たまたま財布に一万円入ってて良かった。
 二人でジャスコを出て、藤崎に渡す。何度も何度も礼を言いながら、嬉しそうな顔で指輪の入った袋を胸に抱く。
 肌寒い秋の夜を歩く。空は暗い。車はせわしなく走り、琴別の生徒達が友達同士で騒ぎながら歩いている。車の騒音。騒ぐ人の声。色々とうるさいが、
でも今は周りがどんなにうるさくても、気にならなかった。
 信号の前で立ち止まる。俺は右に行き、数分チャリを走らせれば家につくが、藤崎は左に行って、琴別大橋を渡って更に奥の住宅地に行かなければ
ならない。
 ここで別れるのは嫌だなぁ。そう思っていると、藤崎が俺の袖をぐいぐいと引っ張った。
「そっち行っちゃ嫌だ。ね、私の家まで来てよ。そしてご飯食べていきなよ」
 心臓の鼓動が高鳴る。お前は毎度毎度、俺の心臓を壊す気か。
 嬉しすぎて舞い上がりそうになったが、必死に冷静さを装って頷く。
 信号が青になると、俺達は長い橋を渡る。橋から見下ろす住宅地はごちゃごちゃしていて、どことなく寂しい感じだ。でも俺の心は全く寂しくない。
 今なら、将来とかそんな事どうでもよく思える。つーか、実際どうでもいい。今藤崎と歩いていて、自分の家まで来てよという言葉を聞けたのだから、他
はどうでもいい。
 今この瞬間を生きている。それだけで幸せだし満足だ。この先嫌なことは沢山あるだろうが、でも今この一秒一分が大切だ。思うんだけど、俺はもう十
八歳だけど、まだ十八歳なのだ。目の前の事でもう一杯なのだ。後もうちょっとだけ、将来の事を考えずに、今だけを考えたい。
 自分が不満か? 自分に問う。いや、不満じゃない。藤崎といる自分は不満じゃない。今の日常に不満はない。突然、色々と不安になる時もあるけど、
不満とは感じない。
 藤崎は少し、俺に近づいてきた。無言で歩き続ける。
 何か喋ろうと思ったとき、藤崎が足を止めた。そして、袋を俺に突きつける。
「どうした?」
「はめて下さい」
 スッと左手を突き出す。俺は袋から指輪を取り出す。少し考えて、中指にはめた。
 藤崎はちょっと不満そうな顔をして俺を見た。
「薬指じゃないの?」
「まだ早いよ」

 二月二十八日。明日は卒業式。
 俺達五人は、緑塚公園にいた。とても大きい公園である。
 時間はもう夜の十時。俺と藤崎はシーソーに腰掛け、赤城はジャングルジムのてっぺんに座っている。佳織は、あのタイヤが半分で、よく跳び箱として
遊ぶ遊具に座っている。これ、正式な名前なんて言うんだっけ。
 井出は地面に寝転がっている。
 全員私服。どうでもいいけど、夜だとコートを着ててもとにかく寒い。
 明日で制服は最後。ワイシャツも、ネクタイも、ブレザーもズボンも。女子ならスカートも。明日で着るのは最後。
 制服で放課後遊ぶのも明日が最後。全部最後。明日で色々なものが終わり、また新しい何かが始まる。
 俺はこの三年間で、何を得て何を失ったんだろう。今はよくわからない。でも、卒業を前にして、俺は幸福を感じているし、満足感もある。
 入学した時は、色々不安で、何かしら絶望を感じたりくよくよしていたが、この四人と出会えて変われた。藤崎の指に指輪をはめたし、赤城には本当に
色々とお世話になった。佳織には友達とは何かというのを、改めて教えてもらった。井出には進路について語ってもらった。
 人は一人じゃ生きてけない。でも、どうだ。今ここには四人の友達がいる。卒業しても、この四人とは多分年寄りになっても今と同じようにくだらない話で
盛り上がってるだろう。
 卒業して忙しくなり、会いにくくなっても、都合を合わせれば五人で遊べる。飲みに行ける。
 でも、同じ制服を着ながら語り合えるのは明日で最後だ。それがどれだけ特別な事か。子供時代をほとんど忘れてる大人にはこの気持ちはわからな
いだろう。
 今この気持ち、悩み。全て大人になったら忘れるのだろうか。全てと言わなくとも、色々忘れてしまうかもしれない。
 でも、どんなに過去を忘れてしまっても、俺は藤崎と喫茶店で仲直りした事や指輪をプレゼントした事は忘れないし、赤城が髪を切られて落ち込んでい
たことは忘れない。佳織がシャンプーを買った事を忘れない。井出と話した事は忘れない。絶対忘れない。忘れる訳がない。
 一生忘れない。
「水山君」
 藤崎が小さく呟いた。
「星見えないね」
「ただ見えないだけで、ちゃんとあるんだろうよ」
 俺がそう言うと、ずっと夜空を見ていた赤城が言った。
「皆はこの三年で、何か見えた? ね、井出はどう?」
「なんだよいきなり。赤城はどうなんだ?」と、井出が言った。
「私の質問に答えなさいよ」
「でもその質問むずかしいって。なぁ、佳織はどうだ?」
「うーん。どうだろ。何か見えた気がするけど、言葉じゃうまく言えない」
 俺は考える。何が見えた。何を見た。佳織と同じく、うまく言葉で言えない。
 大事な存在は見つけたか。
 あぁ、それなら見つけたよ。俺は隣にいる藤崎をチラリと見た。笑顔だった。
「ところで水山」
「なに?」
「こんな時にイチャイチャすんな!」
 五人で笑った。
 明日は卒業式。俺は何を思うんだろうか。ちょっと楽しみな気がする。空に星は見えないけど、別に寂しいとは思わない。今が大事。今が楽しい。今が
幸せ。皆、それぞれの道へ行く。
 そう、俺達の日常は、いつまでも続く。



 終わり



 あとがき
 ある日の日常シリーズの最終話を読んでいただき、ありがとうございます。
 これを書いているとき、なんだか初めてある日の日常を書いた時の感覚を思い出しました。それと同時に、久しぶりに心底楽しいと思いながら書けました。しばらく感じなかった感覚です。
俺の書きたかったある日の日常はこれだなと、強く思いました。
 一作目を書いてから色々な作品を書きましたが、新聞部シリーズを確立してから、どうもある日の日常は迷走してました。それと言うのも、俺が書きたい青春小説は二種類あります。一つ
はダウナーな雰囲気の小説。これが香連シリーズです。そして新聞部シリーズのようなほのぼのとした雰囲気で送る青春ミステリ。
 つまり、新聞部シリーズが出来たので、ある日の日常は初期に書いて、しかも初めてのシリーズなのに、どうにも行き場を失いました。何を書けばいいのかわからない。それに登場人物も
五人なので、短い作品だとごちゃごちゃしてしまいますし。
 それで書くペースも落ちてしまい、無理にミステリを入れたりしてなんだかよくわからなくなりました。
 簡単に言うと、これ以上は書けないと限界を感じたのです。ただ、シリーズとして書き続けて良かったと思います。今回始めて書いてノンシリーズ一作でまとめるのか、シリーズとしてやっ
ていき最終話という運びになる。俺は後者で良かったと思います。初めて水山達五人の物語を書いたら、全然違った内容になったと思います。
 いつまで小説を書き続けるかはわかりません。近いうちに止めてるかもしれません。そこら辺は自分でもよくわかりませんが、今後も宜しくお願いします。



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