受験生の不協和音




 中学三年生、つまり受験生。今日は二月二十四日で、志望校の試験日が目の前に迫ってい
る。
 最近自分でもビックリするくらいイライラしてて、今にも大声を出したり壁を殴りたくなるような
気持ちになる。どうしようもない苛立ちは、やがてむなしさに変わる。結局今の自分は勉強をす
るしかないという現実が、あまりにも辛い。受験ほど不安でストレスの溜まるものはない。
 そんな日々の中で、親友の笠原夏海は行方不明になった。私立の試験が終わってすぐの、
十八日だった。
 今は卒業式の練習の真っ最中。この大事なときに、夏海はどこで何をやっているんだろう?
 中学校での卒業式の練習が出来るなんて、人生でこの時しかないのに。
 先生の起立! という言葉の後、旅立ちの日にが流れてきた。あぁ、いいメロディだな。この
歌は大好きだ。歌おうと思ったけど、周りがほとんど歌っていないので、私も歌わない。
「可奈子、なにぼーっとしてんのよ」
 横に並んでいる白井綾が小声でそう言いながら肩を突いてきた。
 紺色ブレザーと、緑色のチェックのスカートがとても似合う子。長い髪は肩の下まで伸びてい
て、顔のパーツはどれも小さいけど、目だけは大きくてクリクリしてる。まるでリスみたい。薄い
唇はリップでてかってる。
 あぁもう、羨ましいな可愛い子! 中学生活で六回告られたりしたけど、自分にはあまり自信
がない。童顔だし、スタイルも良くないしバカだし。
 女子には可奈ちゃんかわいい〜などとからかわれることさえある。童顔なんて嫌だっ。私は
ワイルドでクールでカッコイイ女になりたいんだ。今は絶賛化粧の勉強中である。
「ぼーっともするよ。夏海、どこ行っちゃったんだろう」
 家にいない。学校にも出てこない。放課後綾とよく探したりするけど、全然見つからない。
 旅立ちの日にのメロディが終わって着席して、卒業証書授与の練習に入る。この時間がとて
つもなく退屈なのだ。なにせ五クラスで約二百人。すぐには終わるわけもない。
 睡魔と激しい戦闘を繰り広げていると、綾がまた肩を突いてきた。
「ねぇ、幽霊の噂知ってる?」
「知らないよそんなの。知りたい噂は夏海がどこにいるかって噂ぐらい」
 綾は苦笑いしながら頬をポリポリと掻いた。そしてブレザーの内ポケットからキシリトールを取
り出して渡してくれたので、口に入れる。
「最近ね、夜になるとこの学校に幽霊が出るらしいのよ!」
 吹き出した。あまりにもありきたりすぎて、キシリトールを思いっきり床に吹き出した。その光
景を見た周りの人も驚いて吹き出した。
 あわてて綾のポケットからティッシュを奪い取り、キシリトールを回収する。
「なによそれっ。嘘くさい」
「声でかいってバカ。でもね、どうやら用務員さんも見たとかいうのよ。ねぇ、興味ない?」
 あるわけないじゃん。
 ……いや、待てよ。幽霊かどうかわからないじゃないか。もしかして、夏海が?
 いやいや。そんなわけない。夏海が夜の校舎を徘徊して、それを目撃した人が夏海だなんて
そんなのありえない。
 夏海の手がかりなんて微塵もないんだから、行ってみてもいいかもしれない。
「じゃあ真実を掴んでみましょうか。いつ行く?」
「今日」
 うーん。今日はダメだ。親戚の本屋の手伝いをすることになっている。軽いバイトだ。そういえ
ばこの本屋、最近万引きが多発している。盗まれる本は、どれも夏海が好きな漫画だったが、
偶然だろう。そう、偶然だ。
 でも、気になりだしたらすぐに行動しなきゃすまない年頃なんだ。手伝いは別の日にしてもら
おう。
 私は小さく頷いた。

 一年生の春。入学式。自分達の小学校からこの香蓮中学に入学したのは、たった十人。心
細かったけど、中学に対する希望と期待を強く心に抱いていた。でも自分が期待している理想
や憧れの中学生活ではなく、絶望の三年間が待っていたらどうしようという不安もあった。色ん
な気持ちが混じっていたけど、当然私はちょっと大人でカッコイイ中学生活を期待していたし、
夏海も私と同じだったと思う。いや、ほとんどの新入生が同じことを考えていたにちがいない。
「ねぇ夏海。クラス、一緒だといいね」
「私は別に一緒じゃなくてもいいけど」
 と、スカートのポケットに手を突っ込みながら言った。
「えー。じゃあもう一緒にあそばなーい」
 私がそう言うと、笑って肩を叩いて「冗談だよ。同じだといいね」と照れながら言っていた。そし
て掲示板に佐伯可奈子と笠原夏海という名前が同じ二組のところに書いてあるのを見つけて、
本気で喜んだ。
 そう、この時は不安よりも、やはり希望と期待の気持ちの方が断然勝っていたのだ。
 もちろん夏海が行方不明になるなんて思いもしなかった。
 今は希望と期待なんか微塵もない。あるのは不安と焦りと、莫大なストレスだ。

 夜八時。私と綾は香蓮中学にいた。狭い道路は車が全然走っていなくて、交差点から学校ま
での歩道に並んでいる木もどこか不気味に見える。
 近くにはジャスコがあり、ジャスコの光だけが目立っていて余計に学校が暗く見える。
 綾は黒色のコートに、黒色のスカート。なにも黒ずくめの格好でこなくてもいいじゃん。と思っ
たけど、夜中の学校に侵入するのだから目立たないに越したことはないか。
「じゃあ、さっそく入るわよ!」
 と、綾は甲高い声で言った。
「思ったんだけどさ、どうやってはいんの? もち鍵しまってるよ。窓ぶち破るわけでもないでし
ょ」
「窓ぶち破る?」
「バカ」
 綾は含み笑いをして私を見ている。冗談言ってないで、さっさと入る方法教えてくれ。どうせ何
か方法があるのだろう。なるべく安全な方法だといいな。こんな大事な時期に変な事したら、受
験どころではない。
 私立の試験は十六日に終えていて、あとは発表を待つだけ。あと二日で結果が出る。受けた
のは香蓮高校。綾は明清東。香蓮はとてもレベルが低くて、札幌で一番ガラが悪いけど、明清
東は私立にしてはかなりレベルの高い方で、ガラも悪くない。
 ちなみに北海道では公立の方が頭の良い高校が多く、私立の方が低い。本州の方は逆なん
だっけ?
 つまり私立は滑り止めで、もちろん本命は公立だ。
「部室の窓を開けておいたわ」
 綾は新聞部に所属している。
「そこから入るの。ね、準備いいでしょ」
 と、笑顔で言った。そしてスカートのポケットからポッキーの箱を取り出し、一本私の口に突っ
込んだ。
 そして早歩きで門に近づき、門によじ登る。あぁもう、パンツ丸見えじゃん。綾、いくら男がい
ないとはいえ、隠せ。
「ちょ、か、可奈子。押して」
 綾はバカみたいに、門の上の方で呻いている。なんつーか、バカらしくなってきた。公立の試
験を間近に控えてなにやってんだよ私達。勉強しなきゃいけないのに、こんなことしてていいの
か? いいわけない。自分の勉強の進み具合はもちろん自分がよくわかっている。
 でも、帰ろうとは思わない。幽霊の噂が夏海に関係している可能性は、限りなく低い。でも手
がかりが無いのは事実。探し出したいのに、何も出来ない。だから一パーセントでも可能性の
ありそうなことは調べてみたい。
 だが、一種これは現実逃避でもある。夏海の手がかりを探すためとはいえ、こんなことしてる
場合ではないのだ。このままずっと出てこなかったら、親が警察に届けるだろうし。
 つまり、勉強したくないのだ。もともと死ぬほど勉強嫌いなのに、毎日数時間も勉強しなきゃ
いけない。そして受からなきゃいけない。これがどれほど大きいストレスを生み、プレッシャーを
感じるかは、受験を味わった人ならわかるはずだろう。
 まぁ、当然夏海の手がかりを探したいっていう気持ちが一番強いけどね。それはただの悪あ
がきだってことはわかってるけどさ。
「ねぇ、早く押してってば!」
 私はわざとらしくため息をして、綾のケツを思い切り押してやった。その勢いで反対側に綾は
着地した。
 綾はどう思ってるんだろう。この子は真面目だし頭も良いから、多少勉強する時間が減っても
大丈夫なのかな。いや、受験に大丈夫もなにもないか。塾のテストで九十八パーセントの合格
率でも、その二パーセントで落ちる人は確かにいると塾の先生は言っていた。
 綾も不安はあるんだろうけど、やはり私と同じ気持ちなのかな。受験の不安に頭良いも悪い
もない。
 私は身軽に門を乗り越え、華麗に着地した。運動神経なら任せてくださいな。
 そして校舎の裏に周り、部室の位置までたどり着いて呆れた。
 横開きの窓は、少しだけ開いていた。警備員と用務員、職務怠慢だぞー。ていうか綾、もしも
開いてなかったらどうするつもりだったんだ。
 さっそく窓から中に入る。こんなあっさりいくなんて。
 窓は来た時と同じ状態にしておいた。
「で、綾。これからどうするのさ」
「どうするって、歩き周るのよ」
 まぁそりゃそうだろうけど、なんか急にやる気がなくなってきた。
 とりあえずうろうろしたけど、もちろん幽霊も夏海もいなかった。いたのは警備員だけで、頭を
グーで小突かれて突っ返された。
 門から出る際、「バカなことしてないで、勉強してろ!」という超お決まりなことを言われた。

 夏休みのことだ。ものすごくくだらないことで夏海と喧嘩した。
 周りからしたらくだらないことでも、自分達にはくだらなくはないことがある。譲れない自分の
意見と、相手の意見。それが対立したとき、喧嘩は起きる。
 喧嘩してから一週間が経った時、インターホンが鳴って外に出ると、玄関にプーさんのぬいぐ
るみが置いてあった。それは夏海のもので、前に私が欲しいと言ったものだった。
 私はすぐに、夏海が欲しがっていたスティッチのぬいぐるみを夏海の家の玄関に置き、インタ
ーホンを押して走り去った。そして泣いた。喧嘩ごときじゃ、友情は崩れない。

 次の日の土曜日になっても夏海は現れなかった。そろそろ親が捜索願を出しただろうかと思
い、夏海の家に電話してみると、なんと被害届は出していないと言う。なんて親だ。会ってビン
タしたくなったけど、出来るはずもなく、プーさんのぬいぐるみを抱きしめることしか出来なかっ
た。
 私と綾はススキノにいた。なんでこんな時期に街にいるかというと、家で勉強しててもはかどら
ないから、喫茶店で勉強しようということになったのだ。
 その喫茶店はコロポックル・コタンという。とても落ち着く雰囲気だし、友達が働いているので
よく行く。
 喫茶店に入ると、ウエイトレスが出迎えてくれた。友達の稲緒真里菜。
「いらっしゃい。お勉強?」
 頷くと、左奥の席に案内してくれた。いつも左奥の席に座るのだ。はじっこが一番落ち着くの
だ。
 店内は木を基調としていて、テーブルと椅子は全部木。店の真ん中にあるドーナツ状のテー
ブルにマスターがいて、客と雑談をしている。
 席に座り、私はカフェラテとサンドイッチを。綾はホットココアとチーズケーキとサンドイッチを
注文する。
 すぐに真里菜は運んできて、笑顔で「勉強頑張ってね」と言ってくれた。
 真里菜は童顔だ。中学生に見える。“見える”んだから中学生ではない。高一だ。香蓮中学
の卒業生で、在校時は仲良くしてもらったもんだ。
 キョトンとした顔で、真里菜は言った。
「あら。今日は夏海ちゃんは一緒じゃないの?」
「うーん。実は最近行方不明っていうか、なんていうか」
 真里菜はまたキョトンとした顔になり、「え?」と高い声を出した。
「昨日ここに来たけど」
 思いっきりカフェラテを吹き出しそうになったけど、さすがに飲み込んだ。キシリトールの二の
舞にはなるまい。
 マジでマジで。マジで? 夏海、ここに来てたんだ! それはとても大きな手がかりだ。
 むせて涙目になりながら「何時ごろ!?」とでかい声をあげてしまい、周りの客に白い目で見
られた。
「えーと。夕方かなぁ」
 綾が身を乗り出して聞く。
「一人?」
「いや、おじさんと」
 固まった。おじさん……。お、おじさん? よりによっておじさん?
 お、お父さんじゃなくて? いやそれはありえない。確か夏海のお父さんは、仕事の都合で今
鹿児島にいるとか言ってたし。夏海、アンタ今何をしてるの。
「ねぇ真里菜。また来るとか言ってなかった?」
「おじさんの方は、この店気に入ったからまた来るとか言ってたけど……。夏海ちゃんは別に。
ていうか、可奈ちゃんといつも来てるじゃない。あ、でも夏海ちゃんあんまり楽しそうじゃなかっ
たな。ずっと相槌打ってるだけっていうか」
 おじさん。女子中学生。
 嫌な予感がした。
 まさか、夏海が援助交際なんて。
 するわけない。夏海に限ってそんなこと絶対にない。でも、おじさんと一緒にいる時点でアウト
だ。絶対変なことやってる。変なことってなんだ?
 ……援助交際しか思いつかない。援助交際する理由は見当がつく。家出する。そのために
はどこかに泊まる必要がある。ネットカフェとか。でもそれには金がいる。金はどこから生まれ
る? 一番手っ取り早くて確実なのが、援助交際。
 やべぇ。つじつまが合いすぎる。
「可奈子。そのおじさんに接触すれば夏海の手がかりがつかめるわよ」
「接触って……どうやって?」
 綾は何か言おうとしたけど、結局口を閉じた。
 さてどうしたものか。ずっと張ってればなんとかなりそうだけど、受験生の身分でそんなことし
てる場合じゃない。何か良い案はないかな?
 しばらく綾と唸りながら考えた。綾は腕を組みながらホットココアを見つめている。
 その様子を仕事そっちのけで真里菜は見ている。マスター注意しないのか?
 あぁていうか、自分達だって勉強そっちのけだよ。なんかもう、頭ぐちゃぐちゃ。受験なんか早
く終われ。とにかく終われ。私は勉強なんかしてる場合じゃないんだ! 友達が行方不明なん
だ。でも勉強しないわけにはいかない。こうしてる間にも、周りの人たちはみんな勉強してる。
でも勉強する気にはなれない。そのくせ不安で不安でしょうがない。いっそ消えたい。
「ねぇ」
 急に真里菜が話しかけてきた。
「そのおじさんに会いたいの?」
「うん」
「そこにいるよ」
 真里菜は、店のドアを指差していた。その先にあるのはコンビニである。
 えーと、つまり。
「あのコンビニで働いてるの?」
「そうだよ。最近あのコンビニの店長になったとかで。この喫茶店を気に入ったのもあるけど、
場所も近いからよく来ることになるだろうなぁとも言ってたの」
 それを早く言ってくれ。
 これはもう行くしかないと思った。
「綾。行こう」
「そうね。行くしかないわっ」
 私達は勉強のことなんかどうでもよくなった。夏海の手がかりをついにつかめた。あの子は携
帯持ってないからその時点で途方にくれていたのだ。親が被害届出さないなら、自分達がなん
とかするしかない。
 席を立とうとすると、真里菜はメニューで私の頭を思い切り叩いた。
「いてっ」
 反射的に真里菜を睨んでしまった。しかし真里菜は動じずにこちらをじーっと見ている。
「変な事しちゃダメ。ここで勉強してなさい。貴方達は受験生なのよ。友達がいなくなって不安で
しょうがないのはわかるけど、絶対にダメ。ずーっと出てこないのなら、警察の出番でしょ。受
験の大事さわかってる? どの高校に行くかで人生決まるのよ。可奈ちゃん公立受かりたいん
でしょ。もし落ちたらどうするの? あそこガラ悪いし、授業崩壊普通にしてる高校よ。そこに行
くことになってもいいの? どうして物事考えないで動こうとするのさ」
 ちきしょう。これが年上というものか。たった一歳しか変わらないのに中学生と高校生じゃ考
えることが違うのか。まだ真里菜が香蓮中学にいたころ、私と夏海の三人でいつも遊んでたじ
ゃないか。その友達がいなくなったんだぞ。なんとかしようと思うのが普通じゃないかっ。
 真里菜のわからずや。でも私はそんなお説教には屈しないぞ。
 更に何か言おうとした真里菜の背後に、マスターが近づいてきた。
「さっきから何やってんだ。サボるんじゃない!」
 と怒鳴り、思い切りメニューで真里菜の頭をぶっ叩いた。真里菜はなにやら騒いでいたけど、
マスターに引っ張られ事務室に引っ込んで行った。
 私と綾はいてもたってもいられずに飛び出した。あのコンビニへと。
 コンビニに行くと、レジにおじさんがいた。とりあえず本が並んでいる所に行く。
 えーと。どうしよ。なんて話しかければいいんだろう。
「ねぇ綾。ストレートに聞いた方がいいのかな」
「怪しまれたらどうするのさ。えーと、そうね……」
 と、綾は人差し指で頬をぐりぐりしながら唸った。アンタも無策かい。
 本を見つめながら相当考えたけど、良い案は思いつかなかった。
 怖くは無い。知らないおじさんに話しかけるくらいでビビる私じゃあない。もともとそういう図太
すぎる性格なのだ。でもチャンスは一回なのだ。一度でも怪しまれたら終わりだ。
 急にむなしく思えてきた。しょせん中学生。何も出来ないのか?
 いいや。出来る出来ないかではなく、やるんだ。やらなきゃいけない。
 すると綾がハッとした顔になり、言った。
「思いついた!」
 何を思いついたのやら。
「ならアンタに任せるよ。バカな私はなんも思いつかないし」
 と言って、綾は「ついでに」と言い、シャーペンの芯とお菓子を買ってレジへ行った。
 すぐに会計が終わる。綾は中学生だけどいっちょまえにコーチの財布を持っている。パチモ
ンだけど。
 会計が終わっても、何故か綾はお金を出さなかった。コーチの財布を握り締めたまま、おじさ
んを見つめている。戸惑うおじさん。
 すると綾は、ニコリと笑って言った。
「夏海から全部聞いてます。詳しいお話を聞きたいな」
 結局ハッタリかますだけかい。うまくいくかなぁ。
 おじさんはキョトンとしていた。そりゃそうだ。
 そして綾は追い討ちをかけた。
「ていうか、最近お金なくてさ。仲良くなりたいな、おじさんと」
 するとおじさんは、小さい声で「夜六時に」と言い、レシートの裏に住所を書いた。

 中二の冬。夏海は好きな人がいた。でも相手には彼女がいた。かなり仲が良くて、いかに美
人の夏海といえども力ずくで奪うのは難しそうだった。
 でも夏海は好きで好きでしょうがなかったらしい。でも、何も出来ずにいた。
 私ならその女になんなら殴り合いの喧嘩でもして決めましょうか? とけしかけるくらいの勢い
で奪いにいくんだけどなぁ。
「夏海、奪っちゃえよ。相手の不幸なんか気にすんな。恋愛にルールなんてないしさ」
「私は無理だよ。男って顔もそうだけど、やっぱ話し面白い人とか、ノリの良い子と付き合いた
がる人多いじゃん」
「し、静かな人好きな男だって沢山いるよ」
「私は確かに静かな方かもしれないけど、純粋じゃないから。男が好きなのは静かで純粋で、
なにより自分の思い通りに動くような女だよ」
 そこまで言われると何も言い返せなかった。
 そして二月十三日。私と夏海は家でチョコと向かい合っていた。お高いスイスのチョコを幾つ
か買って食べ比べをして、一番良いと思ったもので手作りチョコを作るのだ。
 ちなみに私は不器用なので、友達にあげるチョコは市販のウイスキーボンボンだ。ウイスキ
ーボンボンはうまい。あのなんともいえない、ほのかに酒の味のするチョコがとにかく大好き。
 夏海は気持ちを知ってもらうだけでも十分満足だという。私にはそういうのは絶対無理だ。
 そして夏海は二月十四日、その人にチョコを渡してふられたけど、友達にはなれた。あの子
は、めちゃくちゃ喜んでいた。

 夜の六時。レシートの裏に書かれた住所に行くと、ボロいアパートがあった。あのコンビニか
らたった五百メートルしか離れていない所である。ちなみに今までずっと他の喫茶店で勉強を
していた。
 緊張してきた。知らないおじさんの家に行くのだ。本当ならこんなこと当然したくない。何が楽
しくて加齢臭のするきったない脂ぎったハゲたおじさんの家に行かなきゃならんのだ。でも夏海
のためならたとえ火の中水の中おじさんのボロアパートの中!
 アパートを見上げると、二階にそのおじさんはいた。ドアから顔を出して、「おいで」と言った。
不気味だ。
 無言でアパートにあがると、リビングは狭いけど意外に綺麗だった。いや、綺麗っていうか、
物が少ない。ブラウン管のテレビに少ない服。床に置きっぱなしのポットにパチスロの雑誌。カ
ラーボックスが二つに石油ストーブ。物はあまり散乱していないし、ちょっと意外だった。
「夏海ちゃんから全部聞いたんだって?」
 座ると同時に、おじさんはそう言った。綾は眉間に皺をよせた。顔に何が書いてあるか手に
取るようにわかる。ちゃんなんかつけないでよ!
 おじさんの質問には、綾が答えた。
「はい、そうです。まぁ、あぁいうことしてるって」
「援助交際ね……」
 と、笑いながらおじさんは言った。うまいぞ、綾。本当に援助交際をしていたことを確認でき
た。そして、ショックを受けた。本当にやってたのか、援助交際。どうしてよ、夏海。
 綾は続けた。
「あ、そういえば最近夏海と連絡取ってないんですよね。なんかしりません?」
 おじさんは訝しげな顔をしたけど、答えた。
「いや、実は俺も連絡取れないんだな、最近」
 今度はとてつもなくショックを受けた。せっかく手がかりを掴んだというのに、何も知らないな
んて。あぁそうか。夏海にとってこの人は、家出の資金を稼ぐための使い捨てだったのだ。長く
関係を続ける必要はない。
 さて、と。もう用はなくなったらさっさと帰りたいものだ。この危険が大きすぎる場所からは早く
出たい。手がかりが無いとわかった今、ここにいる必要はなくなった。
 でもどう言って帰ろう? 考えて、言ってみた。
「あ、そうだ。ちょっと飲み物買ってきていいですか?」
 おじさんの目がギョロリと動いた。ヤバイ。今のはやっぱうかつだった。完全に怪しまれた。
 おじさんが立ち上がった。その時、足がパチスロの雑誌にひっかかって吹っ飛んだ。すると雑
誌の裏にDVDがあった。そしてそれを見た綾が「キャア!」と甲高い叫び声をあげた。
 全部は見えなかったけど、そのDVDには確かに女子中学生という文字が見えた。
 ヤバイ。
 私と綾は一目散に玄関のドアへ向かった。しかしおじさんはおいかけてきて、私のコートを引
っ張った。
「ちょ、止めてよ変態! もうアンタに用なんてないんだからっ」
 吠えても大人の力に勝てるわけもなく、リビングに引き戻される。
 これはヤバイ。笑えないぞシャレにならない。
 綾がおじさんに強烈な蹴りを入れたが、あまり効いていない。これは、絶望的か。
 必死に逃げようとしたけどどんどん部屋の奥へ引き込まれる。無我夢中でおじさんに噛みつ
いた。さすがにおじさんはひるんだけど、コートはまだ掴んだまま。
「離しなさいよロリコン!」
 そう綾が叫びながら雑誌をおじさんの顔面に投げると、さすがに手を離した。
 でも。
「ふざけるなよガキ!」
 と言い、なんと綾の首をしめだした。
 目の前が真っ白になった瞬間、玄関のドアが開いた。驚いて振り返ると、そこには真里菜が
いた。私達と一歳しか変わらない真里菜。私と同じくらいの童顔の真里菜。でも、とても頼りに
なる女に見えて、自分たちにはない風格みたいなのが感じられた。
「友達に何してんのよ!」
 そう真里菜は叫びながらおじさんに体当たりをして、私と綾の手を引っ張って逃げ出した。

 修学旅行はとても楽しかった。そしてずーっと横には夏海がいた。
 アホみたいに友達みんなで写真を撮りまくって、とにかく騒いだ。そして夏海とお揃いのキー
ホルダーも買った。
 修学旅行先は東北で、ディズニーランドや美ら海水族館はもちろん無いけど、そんなの関係
ない。どこに行っても友達がいれば楽しいのだ。騒いだもん勝ち。
 夏海は、笑顔で写真とお揃いのキーホルダーを手に持って、最高の笑顔を私に見せていた。

 アパートから凄まじいスピードで逃げ出して、車通りの激しい国道に出た。
 息が切れてしょうがない。しばらく何も喋れなかった。真里菜は息を切らしてたけど、顔はめ
ちゃくちゃ怒っていた。なのに、自動販売機で温かいコーヒーを買ってくれた。
 大分呼吸が落ち着いてきたころ、真里菜と目が合った。そして、私と綾は強烈な三往復ビン
タをくらった。
「バカ。バカ。バカ。バカ。バカ」
 真里菜は何度もそう連呼した。
「何考えてんの? とんでもないことしたわね、アンタたち。危ないってことはわかってたでしょ。
ていうか、あのコンビニはおじさん何人かいるわよ。人違いだとか思わなかった? どうやって
家に行くまでこぎつけたか知らないけど無謀だと思わなかったの。無鉄砲でバカだと思わなか
ったの? ていうか、中学生と援交してる時点でロリコンで超危険な変態だってことくらい考え
なくてもわかるでしょ。どうして夏海のことばかり考えて、自分達のこととか、いかに相手が危険
だってこと考えないのよ。意味わかんないよ」
 言われてハッとした。そりゃバカなことしたのはわかってる。でも無鉄砲だとは思わなかった。
だってこうすることが当然だと思ったし、こうしたかった。
 でも、こうしたいと思ってそれを行動に移してしまうのが無鉄砲なんだ。
 どこかで聞いた台詞を思い出した。勇気と無鉄砲は全くの別物。
 勇気を出して夏海のために動いてるつもりだった。でもその結果はどうだろう。危ない目にあ
って、真里菜に迷惑をかけた。そしてなにより、夏海に一歩も近づいていない。
 だけど、こうするしか思いつかなかったんだ。何もしないのは絶対にイヤ。親友がいなくなって
るのに、何もせずに勉強してるなんて死んでも出来ない。
「あのね、バイト終わったらアンタたちがさ、コンビニの前を通っていくのを見たの。何してるん
だろうと思って、急いで後片付けして後を追ったらアパートに入ってくじゃない。しばらく様子み
たらいきなり奇声聞こえて、もうビックリしして頭真っ白になったわよ。私が来なかったら貴方達
どうなってた?」
 返す言葉はない。痛い。私は痛い。全てが痛い。
「もっと他に方法はあるでしょ。警察は?」
「夏海の親が被害届出してくれなくて」
「説得はした?」
 して、ない。そうだ。そうだよ。なんですぐに諦めたんだ? 家におしかけてでも説得すればよ
かったんだ。それは私が、大人は子供言う事なんか聞いちゃくれないって思っているからだ。
それは一部の大人であって、全員がそうではない。ただ被害届を出さない超冷酷女だから何
を言っても無理だと諦めていた。
 だから自分がなんとかしないとって思った。でも、何か出来るわけがない。それはわかってい
たはずだ。それでもこういうことをしてしまった。
 もうイヤだ。夏海どこにいるんだよ。
 真里菜は泣いていた。

 翌日、日曜日。ついに私立の合格発表の日である。
 三人とも受かっていた。でも、軽く喜ぶくらいだ。だって滑り止めだし、喜ぶというよりはホッと
した。本番は三月七日。そして卒業式は三月十四日。
 私たちは合格発表を見たあと、コロポックル・コタンへ行った。真里菜は笑顔で迎えてくれて、
受かったことを報告したらとても喜んでくれて、マスターはパフェをタダでごちそうしてくれた。
 昨日あんなことがあったのに笑顔を向けてくれた真里菜に、罪悪感と喜びの二つの感情が
強く生まれたので、今日はひたすら勉強した。閉店の夜八時までずーっと。
 店を出て帰る途中に香蓮中学を通る。やっぱり夜の学校は不気味。
「結局、幽霊の噂はなんだったんだろうね」
 綾がポツリと呟いた。
「幽霊は、夏海なんじゃない?」
 自分でもわからないけど、そう言っていた。
 綾はクスリと笑って、「そうかもね」と答えた。
「じゃあさ、やっぱり学校にいるんじゃない。だって夏海は幽霊だもん」
「もう一回行ってみようか」
 そう綾が小さい声で言った。そして門をよじ登り、前と違って一人で向こう側に着地した。私も
それに続く。まだ窓が開きっぱなしになっていれば校舎の中に入れる。
 校舎裏に周ると、なんと横開きの窓は二日前のまま、少しだけ開いていた。
 中に入ってふらふらして体育館の近くに行ったところで、ピアノの音色が聞こえてきた。
 恐怖で一瞬ゾクッとなったけど、すぐに恐怖心は消えた。そのピアノは笑いそうになるくらいへ
たくそで、音外しまくり、途中で止まる。音を間違える。曲は、旅立ちの日に。
 そして体育館のドアに耳をくっつけると、かすかに歌声が聞こえた。歌声はピアノと違ってとて
も透き通った綺麗な声。
 ドアを静かに、静かに開ける。ステージの横に置いてあるグランドピアノに、夏海はいた。
 きったないピアノの音と、綺麗な歌声。まさに不協和音。きっとこの不協和音は、夏海の不安
定な心を表しているんだ。そう思った。
「夏海」
 大きい声を出したつもりはないけど、声はよく響いた。
 きったないピアノの音色が消える。
 夏海はゆっくりとこちらを振り向いて、苦笑いした。そして見つめあう。
「久しぶりだね」
 綾がそう言うと、夏海は小さく頷いて、頭をポリポリと掻いた。
 何も聞かなくても、夏海は自分から喋りだした。
「嫌なことがあまりにも多すぎなんだ。最近、仲が良いと思ってた子たちにシカトされてる。理由
はわかんない。先生に理不尽なこと言われて怒られた。公立は受かる自信がない。みんな夏
海は受かるに決まってるって言うから、落ちること考えると死にたくなるね。中学生活を思い返
してみると、なんか満足いく三年間じゃなかったな。卒業して高校に行ったら、何か変わるのか
な。中学校じゃ、勉強の知識よりも人の心の汚さの方を沢山知ったと思う」
 家出したのに、とてつもなく大きい理由はない。ただ、いろんなことが積み重なって、それが
家出に繋がったのだ。だからって夏海、援助交際で小遣い稼ぎしたり、みんなに心配かけるの
はどうよ?
 でも口には出さない。なにせ私達はまだ十五歳。そんなこと言われたくないだろう。何も言う
気はないし言いたくない。
 ただ、何か言葉をかけるとしたら。
「でも夏海、良い事悪い事、楽しい事嫌な事ひっくるめての中学生活じゃない」
 確かに嫌な思い出は沢山あるけど、真っ先に思い出すのはやはり夏海や友達との思い出だ
ろう。夏海は嫌なことを思い出しすぎて、楽しかったことを思い出せずにいるんだと思う。
「卒業しよう、夏海」
 私がそう言うと、夏海はニコリと笑って、へたくそなピアノを弾き始めた。
 それだよ、その最高の笑顔。一人でいるから、どんどん落ちて言っちゃうんだよ。友達といれ
ば、気が楽になるでしょ。
 夏海の綺麗な声と汚いピアノの音色。不協和音。いつかピアノが上手くなって、協和音になる
ことを祈りつつ、卒業式を迎えよう。



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