新・七色のクローバー


 

 頭の隅に違和感を覚えていて、それは何だろうと思い出そうとしていた時、部室の扉がゴジラでも来たんですか? と思うほどの勢いで開いたので一気
にその思考はどこかへ吹っ飛んだ。
 白井綾は俺を小指だけで殺せるかと思えるほどの形相で部室に入ってくると、どしりと椅子に座った。
 たった二人きりの新聞部。幼なじみの部長である白井は、何故そんなに怒っているのだろうか。月曜日の朝という事を考えてもちょっと不機嫌する。今
日は朝からむすっとした顔をしていて、一言も話していない。
 白井は長くて黒いサラサラの髪の毛をガリガリとかいた。首をちょこんとかしげながら髪をかく仕草はどこか色っぽい。腰まで伸びた髪の毛が無造作に
散らばり、長く白い足を見せびらかすように組んでいる。そして大きなリスのような瞳でじっと俺を見つめる。
「なぁ白井聞いてくれよ。俺昨日無くしたと思っていた五百円玉見つけたんだぜ」
 白井は何故かびくっと体を震わせた。しかし腕を組んだまま俺をギロリと睨んでくる。
「ふーん」
 沈黙。さすがにイライラしてきた。なんでそんなに態度が悪いんだ。機嫌が悪くてもそれを表に出さないのが大人というもんだろう。もう高校生なんだか
らそういう所はしっかりしてほしい。
「おい、何でそんなに機嫌悪いんだ」
「ねぇ」
「ん?」
「私のネックレス無くなった」
「はぁ? もしかして、それで機嫌悪いのか?」
 白井はえぐるように俺を睨んだ。心の底がゾクッとした。
「一万円のネックレスなんだ。すっごい大人なデザインで、綺麗でさ」
「どこでなくしたんだ?」
 俺がそう聞くと、白井は鞄からポッキーを取り出して口にくわえ、まるでタバコをふかすようにすぅっと息を吸い込んで、吐いた。
「大切な所で」
「なんだそれ」
 よくわからん奴だ。
 なくしたというネックレスはどこにあるのか当然分からないけど、でもネックレスみたいな小さなアクセサリをなくしたら、もうみつけだすのは不可能に近
い。どうしようもない。
 それに白井は、どんなに嫌な事があってもそれを態度に出す幼稚な奴じゃない。それは幼稚園の頃からの付き合いである俺にはよくわかっている。
「まぁ白井さん。気を落とさずにいこう。ほら、原稿を書こうぜ原稿」
「何なのよ!」
 白井はポッキーを口から吹き飛ばし、机を両手で思い切り叩いた。思わず俺は体を硬直させた。
 白井の顔は紅潮していて、ライオンのように睨んできて、俺はただネズミのように小さく震える事しか出来なかった。ライオンとネズミじゃ勝負にならん。
「アンタ、どうしてそんなに冷たいのよ死んじゃえ!」
「おい」
「大切なネックレスだよアンタほんとその態度いい加減にしてよほんっと死んじゃえばいいのに!」
「態度悪いのはお前の方……」
「うるさいうるさい! 私帰るっ!」
 白井ば鞄を荒っぽくひっつかむと、そのままスカートを翻して部室から出て行った。
 意味が分からない。白井は何に苛立ち、怒っているんだろうか。そして俺には、白井の苛立ちを理解して怒りをおさめることが出来るのだろうか。……
出来そうもない。
 ただ、あそこまで白井が怒っているのに何もしないわけにもいかない。俺は自他共に認めるほどやる気のない人間だけど、白井のためなら、何かした
いとは思うんだ。
 俺は携帯を開いてある人間に連絡をとった。
 幼なじみの突然の激昂。なくしたネックレス。何より、あそこまで白井に睨まれたことに俺は結構ショックを受けていた。
 別に死ねという言葉がショックなんじゃない。ただ、白井綾という人間にあそこまで冷たい態度をとられることが本当に辛い。
 でもこの気持ちは、信頼出来る人間以外には話したくない。今連絡をとった人間は数少ない相談相手である。

 俺は学校を出ると家に帰らずにまっすぐコロポックル・コタンという喫茶店に行った。全て木で出来たこの喫茶店は学生にも人気で、はじっこが落ち着く
年頃の学生のために店の一番左奥は学生専用席になっている。
 店の左奥に陣取った俺はカフェオレ、そして相談相手である野々宮玲はブラックを注文した。
 野々宮はブラックを一口飲むと、言った。
「おごりでしょ?」
「おう」
 野々宮はクラスメートで社長の娘で生徒会に所属している。絵に描いたようなお嬢様タイプだが、また絵に描いたような強気な奴だ。
 誰もが知っているユーパリファクトリーというお菓子会社の娘で家は相当なお金持ちなのだが、野々宮はバイトをして金を稼ぎ、社長の娘という事は自
慢しないが会社の新製品のお菓子を持ってきて(たまに無断でかっぱらってきているらしい)は皆に配る、そういう奴だ。
 野々宮はパーマをかけてウェーブした髪を手でかきあげながら俺の言葉を待っているようだった。
「ネックレスをなくしたんだ」
「帰るわ」
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
「ネックレスをなくした? 知らないわよそんなの。あのね、私は何でも屋じゃないのよ」
「違う。俺じゃないんだ。白井がなくしたんだ」
「綾ちゃんが?」
 野々宮は眉間に皺をよせながらコーヒーを啜った。
「今日、白井機嫌悪かっただろう?」
 野々宮は苦笑いを浮かべた。
「かなりね。近づいたら背負い投げされそうな様子だった。あんな綾ちゃん見たの始めて。海藤君、喧嘩したの?
「喧嘩っていうか……」
「何したのよ。他の女の子と挨拶しちゃったとか、他の女の子とすれ違っちゃったとか、他の女の子の空気を吸っちゃったとか? あ、ま、まさか! 他の
女の子とメールでもしちゃった? それだったら、むしろ今貴方が生きているだけでも奇跡よ」
「あのなぁ……」
「あながち冗談にもならないと思うけど」
 俺はカフェオレを飲んで機持ちを落ち着かせた。
「あいつ、ネックレスをなくしたって騒いでさ。なんか一万円くらいするらしくて。そして理不尽に怒鳴られた」
 野々宮は顎に人差し指をあてながらうーんと唸った。そして、俺はこいつが一瞬ニヤリと笑ったのを見逃さなかった。口元がつり上がっている。
「さぁ。分からないわ」
「まぁ、そうだよなぁ……。でも、あの調子だと困る」
「困る? 嫌なんじゃなくて?」
「どういうことだよ」
「正直に、綾ちゃんに冷たくされるのが耐えられないって言いなさいよ。あたかも白井を助けるんだみたいな態度しちゃって」
 俺はカチンときた。何でそんな事を言われなきゃならないんだ。
「そんな言い方しなくていいだろ。とにかく困ってるんだ」
 野々宮はわざとらしく大きな溜息を吐いた。
「一つヒントをあげるわ」
「え?」
「貴方のその態度は別に悪いもんじゃない。ただ、綾ちゃんにとっては辛いものだと思う。やる気のない性格なのは別にいいけどさ。でも、今だって自分
で何もしないで真っ先に私に相談してる。そこんとこ、問い詰めてみなさい」
 俺は何も言い返せなかった。確かに、俺は自分で特に何も考えずに野々宮を呼び出した。でもそういう俺の態度となくしたネックレスがどう繋がるん
だ。
 分からない。ていうか、野々宮は何か知っているんじゃないか? いや、つーか、確実に全て知っている。
 悔しい気持ちになったし全てを聞きたくなった。そしてここで全てを聞いたら、多分こいつは何もかも教えてくれるだろう。しかし、もしも俺が聞いてしまえ
ば野々宮は心の底から俺を軽蔑すると思う。それでもなお教えてくれそうな笑顔で俺を見ている野々宮は本当に侮れない。俺を試しているのかもしれな
い。
「わかった。ありがとう。自分で考えてみる」
「そっか。まぁ、頑張って」
 カフェオレは甘いのに、何故か苦く感じた。舌打ちが出そうになる気持ちをおさえて、俺は全て一気に飲み干した。

 家に帰ってベッドにダイブして改めて考えてみた。
 そういえば、俺は白井が部室に来る前に何か考え事をしていた。なんだっけ。そうだ。何か違和感を覚えていたんだ。しかしその原因が分かる前に白
井が来たせいで全て吹っ飛んでしまったのだ。
 どうしてもあの違和感が気になる。俺は何を感じていたんだ。違和感の原因は、多分何か感じていた事を思い出せないことだと思う。おかしい。俺はま
だ子供なのに、今持っているリアルな気持ちとか、そういうのを簡単に忘れてしまっているのか。そうだとすれば、大人になったら笑ってしまうくらいあっさ
りと子供の気持ちを全て忘れてしまうのかもしれない。それは絶望とも言えるほどに怖いことだと思った。
 思い出さないと。まさか痴呆でもあるまい。俺はまだ十六歳なんだ。十六歳。そう、十六歳。
 ……十六歳?

 翌日から意味不明な出来事が俺にふりかかった。火曜日の朝学校に行くと、赤色の折り紙が机に置いてあった。そして水曜日は青色。木曜日は黄
色。金曜日は水色。週が明けた月曜日は白色。火曜日はオレンジ色。水曜日は緑色の折り紙が置いてあった。
 なんだこれはと思った。新手のイジメか。しかしイジメにしては意味がわからないしダメージも何もない。
 ただ、俺はなんとなく犯人は予想していた。つーか、あいつしかいないだろう。
 そして木曜日になると、毎朝俺の机に折り紙が置かれるという習慣は何の前触れもなく終わった。
 俺は机に置かれていた七色の折り紙をベッドに並べてみた。赤、青、黄、水色、白、オレンジ、緑。この七色の折り紙が毎朝俺の机に置かれていた意
味。そしてこの折り紙を毎朝俺の机においたであろうあの女の思惑。あいつは全てを知っているはず。
 何度も見た。赤、青、黄、水色、白、オレンジ、緑。だんだんと、何か思い出し始めた。そして不思議と、俺があの日抱いていた違和感がだんだんと崩
れていく気がした。
 ゾクゾクした。怖いとすら思った。何故、俺がふと感じた違和感が、毎朝机に置かれていた七枚の折り紙によって崩れていくのだ。あの女は俺の何を知
っているんだ。俺が思い出せない事を何故、あいつは知っている。
 ……まさか、白井が話したのか? いや、そんなわけない。でも、全くありえない話でもない。
 思い出さないと。俺はがむしゃらになって思い出そうとした。この折り紙は七色だから、この色と数に何かヒントがあるんだろう。
 七つの色。七つの数。色とりどり。レインボー。七色の折り紙。
「あ!」
 一瞬にして、頭の中で大爆発が起きた。そうか、そうだ。七色だ。七色の折り紙。俺は全てを思い出した。あの抱いていた違和感は弾けて中身をさらけ
だした。
 思い出した。七色のクローバー。

 俺は思い出した瞬間に家を飛び出した。もう夜だったけど、何も気にせず走った。目指す場所は香蓮小学校。
 十分と少し走った。全速力で走ったから息が荒くて肺が潰れそう。でも俺は必死に校門をよじのぼってグラウンドに行った。
 闇に包まれた学校はただの鉄の塊にしか見えなくて、グラウンドはただ土があるだけで、夜空に浮かぶ月は俺を見て不気味に笑っているよう見えた。
 グラウンドの真ん中に、ぽつんと人が立っていた。一瞬凄まじい恐怖を覚えたが、すぐにそこに立っている人が誰だがわかった。
「白井」
 下を向いていた白井綾は、恨めしそうな顔で俺を上目遣いで見つめてきた。白いカットソーに黒いミニスカートを着ていた。
「遅かったね」
「ごめん。今思い出したんだ。七色のクローバー」
 白井は目をパッと見開いた。そして久しぶりに笑顔を見せた。不気味に思えた月が神聖なものに見えて、月は白井だけを照らしている気がした。
 ゆっくりと白井はこっちに近づいて来て、鼻の頭がくっつきそうな距離で止まった。
「折り紙気づいた?」
 息が顔にふきかかる。
「気づいたよ。野々宮だろう、あの折り紙を置いたの」
 白井はクスクスと笑った。
「そうだよ。玲ちゃんに全部話して頼んだの」
「そっか……。でも、おかげで思い出したよ。七色の折り紙。あの七つの色の並びに見覚えがあってさ」
 俺はグランドの端っこへ歩いた。白井は無言でついてきた。
 グラウンドの端に行くと物置がある。物置には鍵がかかっていなかった。ドアを開けると当然中は真っ暗だったけど、なんとかスコップを取り出して物置
の裏に回った。
 しゃがみこんで土を懸命に掘る。白井はスカートを両手でおさえながら俺の隣にしゃがんで、じっと土を見つめていた。
 相当深くまで掘った時、スコップが固い何かに当たった。心臓の鼓動が早くなるのに気づいた。
 土の中から、小さな箱が出てきた。弁当箱くらいの大きさで、スチール製のもの。
 箱の蓋を開けると、中からクローバーの形をしたネックレスが出てきた。でも普通のクローバーじゃない。七色の葉を持つ七色のクローバー。
「白井」
「うん?」
「十年、経ったな」
「うん、経ったね。この十年が長かったか、短かったか、分からないけど」
 俺と白井は小学校に入学した年、十年後の自分たちのためにタイムカプセルを埋めていたのだ。
 そして、タイムカプセルを埋めてから丁度十年後というのが、白井の機嫌が悪くなる前の日の日曜日だったのだ。
 白井は日曜日ちゃんとこの場所に来て俺を待ったのだろう。でも俺は完全に忘れていた。白井は掘り返すことをせずに家に帰った。その時の気持ちを
想像すると、心が痛くなる。
「あの時の約束は……。まだ大人の気持ちを持っていなかったら、この七色のクローバーをまた渡すって事だったよな」
「そうだよ」
 渡すべきかどうか迷った。でも、俺は七色のクローバーを白井の首にかけた。白井の顔が一気に赤くなる。
「明日、一万円くらいするネックレス買ってやるよ。最近バイト代出たしさ。で、それをまたこの箱に埋めよう」
「埋めちゃうの?」
 白井は小鳥のように小首を傾げてそう聞いてきた。
「そうだよ。で、また十年後にこのタイムカプセルを開けよう。その時の俺達がどうなってるかは、分からないけど」
 白井は最高の笑顔で言った。
「次のプレゼントは、結婚指輪かな?」



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