私達はまだ四角だから、丸になりたくない




 中一で親が離婚してグレた。中二で始めて出来た大好きな彼氏にあっさり浮気されて、人を
信じることをやめた。中三で受験に失敗して、なんかもうどうでもよくなった。全てを諦めた。
 他にも、私の辛く暗い過去を語りだしたらキリがない。ポテチ五袋をゆっくり食べるくらいの時
間ずーっと話せると思う。
 私は根暗だ。なにもかもどうでもいい。私はなんのために生きているのだろう? いくら頭良く
なっても、笑いが止まらないくらい金を稼いでも、最後に待っているのは死だ。
 なんのために勉強して、働く? そりゃ生きるためだろうけど、生きた結果は死。
 あぁ、人生って一体なんなんだ?

 桜がひらひら舞い、期待と不安が入り混じる春。志望校に落ちて入学することになったのは、
ガラが悪くて評判のよろしくない香蓮高校。でも学校なんか頭良いとか悪いとか、ガラが良いと
か悪いとか、そんなのはどうでもいい。
 自分に合うか合わないかが大事なのだ。それは入ってからじゃないとわからない。まぁ、合わ
なかったらサクッと辞めるからいいけど。この学校を選んだ理由は特にない。ただ、家が近くて
制服が可愛かったから。紺色ブレザーに青色のワイシャツ。そして緑と赤のチェックのスカー
ト。
 高校が始まり一週間。教室は葬式状態である。ほんっとーにシーンとしてて、気まずくてよそ
よそしい雰囲気がぷんぷんしてる。男子十五人、女子二十二人。女子はぽつりぽつりと話して
るけど、男子はぼーっとしてるか携帯いじってるか、運良く知り合いと一緒だった人たちはぼそ
ぼそと話してる。そんな感じ。
 授業は九割寝て過ごしている。別に睡眠不足というわけじゃないけど、コロっと眠くなるほど
授業はつまらなく、意味がない。
 そして五時間目のロングホームルーム。くじびきで席替えをすることになった。どうでもいい。
つーか、この時期に席替えして意味あんの? と思ったけど、私は愛敬りこという名前のせい
で、並ぶときはいつも一番前。今も席は一番前だ。前は嫌いなので都合が良い。
 私の後ろには、もう笑うしかないくらいに可愛い清純系の女の子、千瀬奈々さん。そして前は
……。
 佐伯可奈子さん。中学時代の知り合いが佐伯さんの友達で、よく話しを聞かされた。佐伯さ
んは私の出身中学の隣、香蓮中学出身の子。性格はかなり荒っぽいらしい。で、友達がアホ
みたいに多いとか、不良の知り合いが沢山いるとか、ビールを一気に何缶も飲み干す酒豪だ
とか、とにかく色々な噂を聞く。
 顔は童顔で、丸顔。肌はピチピチしててとても綺麗。目つきは悪くないけど、ダルそうな顔と
雰囲気っていうか、面倒くさそうな態度のせいで、どことなくキツイ感じに見える。
 佐伯さんは私を見ると、ダルそうな顔からパァッと笑顔に変わった。
「宜しくね。えーと。あい……。あいけいさん」
 あいきょうだし。あぁそうだ。その知り合いから聞いた話しで一つ忘れてた。かなりバカらし
い。
 私は「あいきょう」だよ、と教えてあげた。
「あ、あいきょうって読むんだ。難しい漢字だね。ね、名前は?」
「りこ」
「じゃありーちゃんだね」
「やめて」
 そうぶっきらぼうに言うと、佐伯さんは目をパチパチさせだした。驚いているのだろう。こんな
ノリ悪い子、そうはいないもんね。あぁ、悪かったわね。
 私は根暗だ。
 だから、ほうっておけばいいのよ、こんな奴。どうせ私なんか根暗だし、まず人生どうだってい
いし。
 佐伯さんは、急にニヤリとしだした。……なに?
「タバコくさい」
 と、小声で囁いた。ありゃ、匂いついてたか。
 でも佐伯さんはそれ以上は何も言わなかった。
 そして担任が高校生活について語りだす。規則を守れとか、香蓮の制服で街を歩くときは香
蓮の恥になるようなことはするなとか。じゃあ制服着てなかったら何してもいいのか。というの
はただの屁理屈だけど、どうもそういうことを言われると、とにかく学校の評判だけ良ければい
いって感じに伝わってくる。それは、私がひねくれてるから? うっわ。嫌な性格。
 長い話しのせいでうとうとしかけてきた時、担任がいきなり佐伯さんを睨みだした。そして「お
い佐伯。なんだ、その態度は? 入学して一週間でそんなに態度悪いなんて、お前よほど中学
で問題児だったんだろうな」と強い口調で言う。なんか一言多い。
 佐伯さんは横を向いて足を組んでいる。短いスカートから健康的な肌をした太ももを、自慢す
るかのようにさらけ出し、頬杖をついている。
 さて、香蓮中で超有名な女、佐伯可奈子はどう出るんだろうか?
 まず佐伯さんは、意外にも態度が悪かったことは素直に認めて、ちゃんと座りなおした。そし
て、口を開く。
「まさか高校に入ってすぐに、問題児呼ばわりされるとは思いませんでした」
 担任の目がピクッと動いた。そして佐伯さんは更に言う。
「あと、足をジロジロ見ないでください。あ、私の足そんなに綺麗だった? やだっ。照れるー」
 教室に爆笑が広がった。女子はみんな、担任をゴキブリを見るかのような目で見て笑い、男
子はおおっぴらに笑う。
 あぁ、この瞬間でもう、担任の教師としての権力は、半分以上は消えた。絶対、消えた。
 しかし担任も意地があるのか、思い切り黒板を殴った。そして何か言おうとしたのか息を大き
く吸い込んだ瞬間、狙ったかのように佐伯さんが言った。
「顔、赤いんだよ」

 色々あったホームルームも終わり、帰って何をしようかと考えながら玄関で靴を履き替えてい
ると、背中をツンツンと突かれた。振り向くと、そこには佐伯さんと千瀬さんがいた。どうやらこ
の二人は友達らしい。
 千瀬さんは、本当に美人だ。顔は童顔というか、動物顔。目はとても大きい。白い肌。ポニー
テールも似合っている。そしてこれぞ大和撫子かと思わせるその存在感。ただただ、凄い。
 佐伯さんは、ショートヘアーにしては長いもみあげをいじりながら言った。
「ねぇ、タバコ何吸ってんの?」
「あぁ……。セブンスター」
「マジ? 同じじゃん。ね、今日りこの家に行っていい?」
 ……はぁ? いやいや、待ちましょうよ。アンタの中には、タバコが同じ人の家にはたとえ親し
くなくても、とりあえず行く! っていうルールでもあるんですか?
 千瀬さんはニコニコ笑っている。な、なんで千瀬さんのような人が、こんな子と一緒に……?
 何も言えないでいると、佐伯さんは頭をポリポリとかいて、苦笑いした。
「そうだよね。いきなり家に来られたくないよね。でも、私りこと遊びたいな」
 話したばかりの人に、ストレートに遊びたいと言われたのは初めてだ。確かに、そりゃ私だっ
て、この子と遊んだら面白そうだなとか、なんとなくあの子と遊んでみたいと思うことはある。で
も、佐伯さんのように、なんのためらいもなくストレートになんか言えない。つーか、言える人は
そうそういないよね。
 そして私は、佐伯さんという興味深い……。と言ったら失礼かな。佐伯さんという個性的な人
と遊びたいか?
 答えは、イエス。こういう人、嫌いじゃない。
「い、いや、いいよ。ひ、暇だし。家、来ていいよ」
 あぁもう。友達と遊ぶのなんて久しぶりだから、噛み噛みだ。
 ……あ、今、私、遊んで楽しもうとしてる。人生どうでもいいと思ってるくせに。矛盾。
 でもなんか、佐伯さんといれば、何か色々と変わる気がした。私の手の届かないところに連
れてってくれそう。なにか、なにか可能性を得られそうな気がする。
「マジ!? りこノリ良いねっ。ノリ良い子大好きだよ。ね、何して遊ぼうか?」
 ノリ良いと言われたばかりなのに、「なんでもいい」とノリ悪いことを言ってしまった。
 すると、千瀬さんが始めて口を開いた。
「酒盛り」
 ……ということで、学校から自転車で二十分ほどの所にあるコンビニは、制服を着たままでも
余裕で酒が買えるとの情報を佐伯さんが教えてくれたので、そこに行くことにした。
「りこ、あのコンビニは本当に簡単に買えるから覚えておきなさい。ちなみになんで簡単に買え
るかというとね……」
 その後は千瀬さんが続けて言った。
「ただ単に、夕方からはかなり気の弱そうな男がレジやってるからよ」
 なるほど。
 私たちは、学校周辺の細い道を抜け、街の中心地に出る。色々な小さい店が並ぶ商店街を
駆け抜け、地下鉄もJRも通りすぎていく。色々な人。色々な音。色々な匂い。今感じてる音と
か、匂いとかは、もちろんすぐに忘れる。じゃあ、今感じてる感情とか、世間とか社会とか学校
に対しての考えとか、今自分が求めてるものとかは、時間が経ち、大人になると忘れてしまう
のだろうか?
 それは死ぬことより怖いと、私は思う。今、自転車で駆け抜けている私の髪を揺らしているこ
の風を忘れるのは、どうでもいいことだ。でも、同じクラスメイトと、中学時代の愚痴を言い合い
ながら自転車で駆け抜けているこの風を忘れるのは、やっぱり怖い。
「ねぇりこ。私と奈々のこと、下の名前で呼んでね」
「うん。可奈子。奈々」
 可奈子は無邪気な笑顔を私に向けた。あ、可愛いな。と素直に思った。
 コンビニに行き、レジにいる弱気そうな顔した男に軽くガンを飛ばし、酎ハイとビールを六本
と、おつまみを数個買った。レジの男は何も言わずに袋にビールとつまみを詰める。いやぁ、ご
くろうさんっ。
 コンビニを出ると、三人でニヤリと笑い合う。
「ね、簡単でしょ。あーていうか、金あったらもっと飲むんだけどなー」
 可奈子はそう言って、地面に落ちていた空き缶を蹴った。
「いいじゃない。可奈子はいつも飲みすぎるし。ね、りこ。あたりめって焦がすとおいしいんだ
よ」
「え、そうなの? さっそくやってみようか」
 ……はっ。なんか私、すっごい意気投合してる。ど、どうして? いや、別に嫌じゃないし、む
しろ嬉しいんだけど、これまで暗く生きてきた私。全てを諦めて、なにもかもどうでもいいと思っ
てた私。でも、話したばかりのこの二人と、昔からの友達のように話してる。
 可奈子もそうだけど、奈々もなにか普通じゃない何かを持っている。可能性。今までとは違う
可能性を得ることが出来そうな、なにか。
 いや、待て。それはきっと思い込みに過ぎない。むしろ理想。私はなにも信じない。人は人を
簡単に裏切る。私は彼氏にひどい裏切られ方をしたし、小学生の時で既に友達に三回も裏切
られた。親も離婚した。もともとは純粋で神経質な性格をしていた私は、中学を卒業するまでに
それら全てが振りかかってきただけで、全てを諦め、信じないようにするのには十分すぎるほ
どだった。
 きっと、この子たちだってすぐに裏切るんだ。
 ただ、今からの酒盛りが楽しければ、とりあえずはそれで良い。
 可奈子の家に着く。玄関に入った瞬間、人の家の独特な匂いがする。可奈子の家は、落ち
着いた、目を瞑って静かに座り込みたくなるような匂い。
 二階に上がって部屋に案内される。部屋は正方形。勉強机は無い。部屋の中心には座椅子
と小さいテーブル。その正面に二十一インチのテレビ。テレビの横にはなにやら音響機器っぽ
いものがごちゃごちゃ置いてあって、部屋の両サイドに置いてあるカラーボックスの上にはどで
かいスピーカー。本棚には漫画がギッシリ。カラーボックスには香水やら小物やらがギッシリ。
床にはぬいぐるみやら大量のCDとMDが散らかってて、ノートパソコンは無造作に置いてあ
る。そして……。
「可奈子、なにこの黒い箱」
「あぁそれ。サブウーハー。で、そっちの銀色のパッと見プレステスリーのパチモンみたいなの
がアンプ。その横にあるのは結構前に買ったコンポ。で、スピーカー。この四つで六万五千円
以上はしたね」
 お、音楽聴くだけで六万五千円以上!? な、なんたるこだわり……。確かに私も音楽はそ
こそこ好き。でも、無名メーカーのMDラジカセしか持ってない。だってわざわざスピーカー新し
く買う必要なんかないし、そもそもアンプ? サブウーハー?
 私が困惑していると、可奈子がゲラゲラと笑い出した。
「まぁ女は普通、そういうのに疎いもんね。あのね、音響ってこだわりだしたらお金はすっごい
かかるの。でも、こだわればこだわるほど、別次元の音質で音楽を聴ける。りこはどんな環境
で聞いてる?」
「む、無名メーカーのMDラジカセ……。メーカーは確か、ソンサム?」
 私が答えると、奈々がうげーっといった感じの顔で言った。
「うっわ。それ韓国のメーカーじゃん。ダメだよー。ちゃんと日本製とか、良いの買わないと」
 そんなこと言われても。私は何事も、最低限必要なものを用意できればそれで満足だもん。
必要なものがあれば、それ以上は望まない。もっと、とか。更に、とか。そういうのはあまり思わ
ない。
 でも可奈子は違うんだな。少しでも良い音で聞こうと、大金をつぎこむ。その思い切りとこだわ
りは、なんか羨ましい。
「まぁ、可奈子の音響オタ話し聞いててもしょうがないわね。飲みましょう。早くテーブル出して
ー」
 すると、可奈子は押入れから大きめのテーブルを引っ張り出してきた。買ってきた酒を一本
ずつテーブルに置き、おつまみの袋を豪快に開けていく。そして灰皿を置いて、準備完了。
 奈々はニヤニヤしながら、ライターであたりめをこがしておいしそうに食べる。可奈子は即効
で酎ハイ一本を一気飲みする。私は、とりあえずタバコに火をつけた。
 可奈子はタバコが切れているらしいので、一本渡す。すると可奈子は、うまくわっかをポッポ
ッと吐き出した。上手い。私には出来ない技。こういう子って、結構なんでもあっさり出来ちゃう
んだよね。やらせれば、それなりに結果を出せる。クラスに何人かは絶対にいる、器用な人。
 でも私は不器用。なんでもかんでも、あっさりと出来ない。指パッチンできないし、口笛吹けな
いし、要領悪いし。勉強だって全然ダメ。
「てかぁ、りこって私と同じで童顔だよねぇー。なかまーなかまー」
 可奈子のテンションが上がりだした。顔は少し赤い。もう二本目に突入してる。絶対アンタ二
本じゃ足りないでしょ。
「つーかさ、学校の購買にも酒置いてほしくね?」
 と、奈々がいきなり無理難題を言い出した。
「だよねー。てか、学校に喫茶店置いてほしい。あ、あとオープンカフェ。私立なんだからさぁ、
もうちょい設備立派にしてよねー」
 私と同じこと考えてる。
 可奈子はテンション上がりっぱなしだけど、奈々は白い肌のまま、ちびちびと飲んでいる。こ
れだけだとおとしやかな子だけど、テーブルの下を見れば、あぐらをかいててパンツ丸出し。
 その後もくだらない雑談でアホみたいに笑い合う。学生の一番の特権は、くだらない話しでも
十分盛り上がれることである。
 可奈子はおつまみを食べまくり、奈々は吸いまくり、私は笑いまくった。
 うーん、なんていうか。こうまで楽しいと、人生まだまだ捨てたもんじゃないと思えるなぁ。なん
て思ってると、可奈子がニコニコしながら、「音楽聞こうぜ。音楽。Janneは神だから」と言い、
好きなバンドの曲を流し始めた。
 そして莫大な衝撃を受けた。ここは本当にただの狭い子供部屋なのか? と疑いたくなるほ
どの音の臨場感と、広がり。そして低音のドスン、ドスンというパワフルな音。どうやらこれはウ
ーハーから出ている音らしい。
 凄い。なんだこれ。こんな世界があるのか。いや、世界と言うとおかしい話だけど、私のMD
ラジカセのスピーカーとじゃ、もう本当に次元が違う。私はあんなしょぼい音で満足してたの
か。音楽だけの話しじゃない。大げさかもしれないけど、これは私のすべてに当てはまることだ
と思う。
 私は色々なことを知らない。だって、全てを諦めて、何も見ないで生きているから。

 翌日、朝教室に行くと、可奈子と奈々が笑顔で近づいてきておはようと言ってくれる。すがす
がしい朝。これが、朝っていうものなんだなと、ふと思う。
「ね、りこ。昨日私ら帰ったあと、可奈子のバカ家にあったビール三本飲んだんだって。飲みす
ぎだよね、こいつ」
「え……。ふ、二日酔い大丈夫なの? 今日一時間目から体育なのに」
 可奈子は「うん。大丈夫。おえっ」と言った。……面白い子。
「ていうかさ、高校生にもなってドッジボールってなにさ。くだらなくね? ねぇ、いっそサボろう
よ。つか、もう帰ろう」
「ダメだ。サボってしょっぱなから目つけられても困る。ね、りこ?」
「う、うん」
 ごめん、奈々にすっごい賛同してた。
 だらだらと着替え、体育館に行く。そして適当に二つのチームに分かれ、試合が始まる。
 私と可奈子と奈々は同じチーム。可奈子を慕って、可奈子の友達のほとんどの人たちも同じ
だ。そしてギャル系や、目立っている人たちも自然とこちらに入ってくる。
 相手のチームは地味系、オタク系、余り者のチーム。まぁだいたい、学校でグループ分けす
るとこうなるよね。そして私は、いつも中学時代までは余り物のグループに属していた。
 でも、これまでの人生で裏切られたことはあれど、いじめられたことや、ハブかれたことはな
い。ギャル系の子とだって普通に話してたし、修学旅行など、本当に大事な時はちゃっかりそこ
そこのグループに入っていた。
 そう、そんな感じでなぁなぁで来たのだ。なぁなぁでこれまでやってこれたのは、それが私が見
た目に気を遣ってるのもあると思う。別に自分のこと可愛いとか思ってないけど、化粧とか色々
と頑張ってる。間違っても地味な見た目にならないように気をつけてる。それが、仮面となるか
ら。普通の人と見られるから。人間、中身が第一だけど、見た目も大事なのは言うまでもない。
私は綺麗ごとを言うつもりはない。
 試合は、ほとんど可奈子の独壇場だった。可奈子が凄まじい速さのボールを投げ、当てる。
そして流れ球を近くにいた人が当てる。超圧倒的な試合。
 でも、相手チームの数少ないまともに動ける人たちが、一人とろい動きをしていた私に目をつ
けた。
 何回も連続で私のところにボールが飛んでくる。でも、私は一回も当たらなかった。
「あぁもう、りこばっか狙うなよいじくそわりぃなあいつら! 自分ら地味だからって、りこに嫉妬
してんのか!?」
 そう、可奈子が守ってくれたから。ねぇ、私達昨日始めて話して、遊んだんだよ。それだけな
のに、どうしてそんなに優しいの?
 体育が終わり、みんなだらだらと更衣室に吸い込まれていく。着替えている途中、私を狙いま
くってきた女子がこちらをじーっと見てくる。この子は結構おとなしい子だけど、チクリ魔だの裏
で悪口を凄く言うとか、悪い噂ばかり聞く。無視しようと思ったら、可奈子と奈々が物凄い勢い
でガンを飛ばし始めた。奈々が言う。
「アンタなに見てんの?」
 リスのような超可愛い顔が、キッとした顔に変わる。そしてくりっとした瞳が、驚くほどにキツイ
ものに変わる。奈々のなんともいえぬ威圧感。そして存在感。この二つでは奈々に勝てるもの
はいないんじゃないか? 女王様。なんとなくそんな言葉が浮かんだところで、可奈子も続く。
「そうだって。こっち見んな。つーかお前、中学時代からほんっと嫌なやつだよね。ドッチで同じ
人狙いまくるわ、睨むわ。りこが何したのさ」
 口調はキツイが、言ってることは間違ってない。だって私なにもしてないし。人にそういうこと
をするということは、多少何を言われてもしょうがないことだと思う。
 その子の援護をする人は、誰もいなかった。

 ドッチボールの日から二週間が経った。可奈子はいつも色々な人たちと楽しそうに話してい
る。奈々はイケメンの男子とメルアドを交換し、男とよく遊んでる。なんとなく奈々に顔と性格ど
っちを重視すると聞いたら、顔と即答した。自分にだけ優しければそれでいい、と。
 逆に奈々に聞かれた。「じゃあアンタはどうなのよ」と。正直に顔と答えた。優しさは必要だけ
ど、確かに奈々の言うとおり優しさは自分にだけあればそれで満足。
 奈々が言うには、顔なんか心底どうでもいいと思ってる人間なんて絶対にいないらしい。どう
してと聞くと、奈々は嫌味のようにサラサラの髪をかきあげながら言ったもんだ。
「じゃあ目の前にイケメンとブスがいます。性格は二人とも百パーセント完璧に同じです。で、今
からどちらかとデートしろと言われたら、アンタはあえてブスを選ぶの?」
 な、なんだかなぁと思った。人は見かけで判断しちゃいけないとはよく言ったもんで、奈々ほど
外見と中身のギャップが違う女はいないだろう。ちなみにもちろんイケメン選ぶけど。
 まぁそれはいいとして。可奈子も奈々も順調な高校生活を送っている。じゃあ私はどうかとい
うと、言うまでも無く静かで地味。自分からわざわざ誰かに話しかけることはしない。まだ可奈
子と奈々としか話したことが無い。
「ねぇりこ。なんでぼぉっとしてんの? りこもこっち来なよ」
 と言って、後ろにいる女子の集団を親指でクイッと指す。
 無理。苦手。大勢で楽しく話すのは昔から本当にダメなのだ。可奈子や奈々のように、あっけ
らかんとした、親しみやすい子と少人数で話すのは良いけど、話したことも無い子たちとキャー
キャー騒ぐのは出来ない。
 可奈子は凄い。尊敬する。可奈子が太陽みたいな人生を歩んでいるとしたら、私はなんだろ
う。影。影かな。目立つことなくじりじりと生きる。それでいい。だってそういう生き方を望んでい
るから。生きた結果は死なのだ。
 そう、静かで地味で孤独に生きる……。と言いたいところだけど、高校に入ってからそうでも
なくなってきた。そう、孤独が消えたのだ。可奈子と奈々の存在で。
 クラスにはグループがある。下から地味系グループ、普通グループ、目立ちたがりグルー
プ、そしてギャルグループ。私は今まで地味系グループに属していた。ただ、地味系に属してい
るだけでからかわれたり嫌がらせを受けたりしたことは、本当にこれまで一回もない。どうして
だか、はっきりとした理由は未だにわからない。
 で、このクラスには特別なグループがある。それは可奈子・奈々グループ。ギャルグループが
Aランクだとしたら、この二人は別格のSランクといった所か。この二人は中学からかなりの有
名人であり、可奈子の普通じゃない人脈の広さと人気。そして話しの面白さと、その気さくな性
格。大雑把で男勝りな性格なのに、可愛らしい、とても愛敬のある顔をしているところは特に男
子にも女子にも人気がある。
 奈々はもう、あの素晴らしい容姿だけで反則だ。そして奈々の性格を知ればそのギャップに
驚く。でもだからといって嫌う人はいない。むしろ魅了される。そして奈々の威圧感と存在感に
は、さすがの可奈子も勝てない。
 ……で、その二人が何故だかよく私に話しかけてくる。学校で普通によく話すし、お弁当も一
緒に食べる。学校帰り寄り道に誘われる。
 つまり私は、この最強の二人のグループに属しているのだ。だから孤独なんてあるわけがな
いし、考えてみりゃ静かで地味でもないな。そうだ。もう私から静かであり地味で孤独な生き方
は消えているのだ。
 じゃあ今の私は何? このままでいいの? なんだろう。自分が自分でない感じ。でもだから
といって、居心地が悪いわけではない。どうしていいかわからない。
 放課後、一人で帰ろうとしていると、可奈子が後ろから抱き着いてきた。
「ちょ、な、何するの」
「おんぶしてー」
「嫌だっ。ていうか、最近可奈子ベタベタしすぎ」
「えー。だってりこなんか面白いんだもん。よくわかんないけど、とにかくりこ好きー」
 と言って、可奈子は私の首に両手をまわして、だらーっとしながらひっついてくる。アホの子で
ある。首にしがみついてくるので苦しい。体を押し付けてくるので暑苦しい。
 このままいると、可奈子はもっとベタベタしてくると思ったので、首に可奈子をぶらさげたまま
頑張って教室の外に出る。
「ていうか、アンタ珍しく一人? 奈々は?」
「んー。なんかどっかのクラスのイケメンとデート行った。奈々にふられちゃったー。だからりこ、
デートしようぜ」
 と言って、可奈子は無邪気な笑顔を顔に浮かべながら、私の腕を引っ張る。
 私みたいなやつを、ぐいぐいと引っ張ってくれる。こんな子、これまでいただろうか? 中一で
グレた私は、いろいろなことをやってきた。そういう毎日を生きていて、あぁいつか自分は壊れ
ていくんだろうなと思ってた。
 でも、現実は結構マヌケなもんだった。私はもともとおとなしくて純粋だったし、不真面目でも
はっちゃけた子でもなかったので、なかなかグレきれなかったというか、つまり不良というもの
にハマらなかった。ていうか、それすらもくだらなく思えたのだ。
 真面目に生きることも、不真面目に生きることもつまらなかった。真面目に勉強するのは嫌
いだし苦痛だ。吐き気がする。でもくだらない男と夜中にくだらない遊びをするのは、スリルが
あって面白いし新鮮だけど、とてつもなくむなしかった。
 夜の空気は好き。なんともいえない懐かしい匂い。静かに髪を撫でる風はとても心地が良
い。異性とその夜を過ごすのは、なんともいえない気持ちになる。ただ、好きでもないやつと過
ごすのは気持ちが悪い。あのむなしさは思い出すだけで悲しくなる。
 私は自分らしい生き方を見つけることが出来なかった。
 んで、周りはもちろん私に近づかなかった。入学早々グレて男と遊びまくると思いきや、急に
静かになるわ、何も喋らないわでとても気味の悪い女に見えていただろう。周りの自分を見る
目が嫌だった。私がアンタらに何をした。
 でも可奈子はそんな私に普通に話しかけ、仲良くしてくれる。腕を引っ張ってくれる。そんな可
奈子を見て、私はこれまでただ甘えていただけなんじゃないかと思う。
 だからこそ、可奈子に甘えるわけにはいかない。すがっちゃいけない。
 
 可奈子に連れられて、コロポックル・コタンという、木が中心のデザインの喫茶店に連れてこ
られた。
 私はカフェオレを。可奈子はミルクティーとチョコレートケーキ。
「ねぇねぇ。りこって化粧うまいよね」
「うーん。そうかな? 自分ではうまいと思わないけど」
「ぜってぇうまいよ、りこは。なんかね、りこって私と同じで童顔だけど、なんか色っぽさを持って
るよ、うん」
 自分ではわからないなぁ。ていうか、口にチョコがついてますよ。
「でも、りこって男の気配が微塵もないよね。なんで?」
「なんでって言われても……。昔は結構遊んでたけど」
 すると可奈子はふーんと言った表情で、ケーキを崩していく。つーか、女の子と喫茶店に行っ
たのは初めてだ。
 中学のころ色んな男と喫茶店に行ったけど、誘われた喫茶店は絶対に有名なチェーン店だ
とか、安っぽいところばかりだった。それは別に全然良いんだけど、たまには大人っぽいところ
に誘ってほしいと思う時がある。でも女の子を大人っぽい喫茶店に誘うのは、かなり落とそうと
する自信と、自分はまだ子供だからという自覚を切り捨てる二つの要素が必要になる。特に自
分の子供っぽさを見て見ぬふりするのは難しいだろう。
 一度、ためしに自分からお高い喫茶店に誘ったことがある。そしてとても後悔した。その日ほ
ど落胆したことはない。その男はメニューを見るなり、目を見開いて驚いていた。そして小さい
声で「高いね……」と呟いた。カフェオレ五百円。アイスコーヒー五百五十円。その店オリジナ
ルドリップコーヒー六百円。ワッフル五百五十円。
 高くないし。喫茶店なら普通だし。それに味はやはり格が違う。でもその男はコーヒーの味に
はとても疎かった。
「ねぇりこ。なんでアンタさ、そんな静かにしてんの。なんかキャラ間違ってるっていうかさ」
 私が何も言わずにいると、可奈子は続けて言った。
「だってアンタ、普通に可愛い顔してるし化粧もうまいし、話しだって面白いし、静かなわりに
は、なんだかんだいってノリ悪くないし、それに雰囲気だってそう。普通ずーっと黙って椅子に
座ってたら、ギャル系の連中とか普通に話しかけてこないよ。でもりこはさ、地味な子ともギャ
ルにもごくごく普通に話しかけられてるじゃん? もったいないんだよね。顔は良いわ、人に嫌
われない雰囲気を持ってるわ」
 ……知らないよ、そんなの。
「じゃあ聞くけどさ。楽しく生きたら何があんの?」
 いきなりの突拍子のない質問に、可奈子は固まった。目を点にして、フォークを持った手が止
まる。
 私は可奈子の唇についたチョコをティッシュで拭きながら言った。
「楽しく生きるってのはさ、エネルギーがいるじゃない。私だってね、楽しく少しでも良い人生は
ね、何もしないで送れるもんじゃないってことくらいわかってるわよ。でも、頑張ってエネルギー
使いまくって楽しく生きてさ。その結果は何?」
 これは人間全てに聞いてみたい質問だった。生きた結果は何? 私は死だと思ってる。じゃ
あ可奈子は?
 可奈子はこいつ何言ってんだ? と言った顔で答えた。
「え……。死ぬんだからこそ生きた結果もクソもないでしょ。十六歳の今楽しんで、十年後の二
十六歳の未来も楽しんでやって、中年、ばあさんになっても楽しんでやればいいさ。楽しく生き
なきゃもったいないでしょ。せっかく生まれてきたんだからさ。バカなこと言ってないで、早くカフ
ェオレ飲みな。冷めちゃうよ」
 開いた口がふさがらない。私が長い間思い続けてきた、生きた結果は死。だから全てを諦め
る。という考えを、いとも簡単に破壊してのけた。
 なんだか、苦労して作った砂の山を、涼しい顔で思い切り踏み潰された感じだ。
 ……あ、でも、なんだか嫌な気がしない。だって可奈子の言うとおりだと思ったから。
「そう、かな。そうだね。可奈子の言うとおりだね」
「うーん。ていうかりこはさ、難しく考えすぎ。で、中途半端。アンタはね、このままじゃいけない
って思ってるんだよ。ちゃーんと。でもね、一人でうじうじ考えてるだけじゃ、人は簡単なことに
気づかないんだよ」
 心に気持ちよく刺さる言葉だった。やっぱり可奈子は普通じゃない。そこらへんにいるような
普通の高校生じゃない。なにか特別なものを持ってる。可奈子なら、私を違うところへ連れて行
ってくれる。その予感は外れじゃなかった。
「ていうかどうしたのよ。急に変な事言い出して」
「いやぁ……。私、中学時代色々あったからさぁ。グレてた時期もあったし、なんかどんどんくら
ーくなってたっていうか」
 言った瞬間顔が真っ赤になったのがわかった。うっわ。私いきなり何口走ってんだよっ。
「そっか。でもまぁ、今は今さ。今楽しめばいいさ。だってりこ、グレてたわりには全然良い子だ
もん。りこに何があったかとかぜーんぜん知らないけど、りこはいつでも生きる上で楽しさを探
してたんじゃない?」
 可奈子の言うとおりだ。私は確かに楽しさを探していた。でも、それを覆い隠すものが多かっ
たし、なによりその覆い隠していたものを言い訳に甘えて生きてきた。
 甘えはいけない。私はもう何にも甘えずに生きなきゃいけない。それは辛いことだろうけど。
 しかし可奈子は言う。
「まぁ、何かあったらいつでも私に甘えなさいな。それが友達だからね」
 十六年生きて、やっと友達の意味がわかった気がする。

 それから一週間後。私と可奈子と奈々の三人は玄関でダベっていた。奈々がはしゃぎながら
言う。
「あのねあのね。前デートした男さ、マジで最低だったの。だってさ、待ち合わせ場所に行って
どこ行くって聞いたら、カラオケって言うの。まぁいいかと思って、カラオケ行くわよね。で、次ど
こに連れてってくれるって聞いたら、なんとビックリゲーセン! んで最後はマック。マジふざけ
んなよって! 行く所なくてしょうがなく時間潰しに行く所のトリプルコンボです! はいさいなら
ー。あいつとはもうこれっきりでーす!」
「うっわ。その男ありえなー。奈々、今回は運が悪かったね。ね、りこもそう思うよねっ」
「うんうん。デートの意味ないよねー」
 私が賛成すると、奈々はため息をして言う。
「やっぱそれを考えると、女同士が一番気楽で楽しいわ。ね、また酒盛りやろうよ。今度は他の
子も誘う?」
 私はドキリとした。いいよって、言わなきゃ。拒んでばかりじゃ何も始まらない。
 でもダメだ。私は可奈子と奈々しか信用できてない。でも、ちゃんと自分から踏み出さないと。
 と、その時。後ろから「さえきぃ!」というどでかい声が聞こえた。驚いて三人同時にぶんっと
振り向くと、そこには生活指導の先生がいた。
「お前、その茶色い髪はなんだ? 最近まで真っ黒じゃなかったか? それと何回も言うけどス
カート短いんだバカタレ。そんなに太もも出して何が楽しい?」
 すると可奈子は……。
「めんどくさいなぁもうっ」
 と言って、逃げた。鞄をひょいっと肩にぶらさげ、左手でスカートの後ろを押さえながら、全速
力で逃げた。
 そして先生も屈しない。可奈子を追って全速力で追いかけ始めた。運動神経抜群の可奈子
に追いつくのは無理だと思ったけど、あいにくその先生は陸上部の顧問。すぐに可奈子は追い
つかれて捕まり、職員室に連れて行かれた。
「……りこ、帰ろうか」
「う、うん」
 まっすぐ帰るのも暇なので、またコロポックル・コタンへ行く。
「ねぇりこ。さっきのことだけどさ、他の子いたら嫌?」
 急に核心をつかれた。可奈子は鈍くて、人のひとつひとつの態度で何かをいちいち感じとる
のは苦手だけど、普段から友達をすっごく思いやっている。奈々はおせっかいなんてほとんど
しないし、普段から思いやったり気をかけることはしない。でも、いざとなったらその鋭さを優し
さに変えて、とても心配したり相談に乗ってくれたりする。今だって、普段はぶっきらぼうなくせ
に、私の妙な態度に気づき、聞いてくれている。奈々もやっぱり、普通じゃない。とても素晴らし
い子だ。
「いや、嫌じゃないんだ。でも、緊張するっていうかなんていうか」
 すると奈々は、肘をついて上目遣いで私を見た。ドキッとした。いやらしい目。いや、とても女
らしい目だ。奈々が童顔なのに、妙に大人っぽく感じる時がある。それはこの瞳のせいだろう。
顔は子供っぽいのに、大人で女の瞳。そりゃこんな目で上目遣いされりゃ、たいていの男は落
ちるよなぁ。女の私でも、この大人っぽい目で見つめられると、心臓の鼓動が早くなる。
「そっか……。でもねりこ、友達は沢山いた方がいいじゃない。なんていうか、りこって誰にでも
好かれるタイプなんだからさ、もっと積極的になってもいいんじゃない? たまには自分から踏
み出してみる、とかさ」
 積極的。自分から踏み出す。私がこれまで捨ててきたものだ。それを奈々はちゃんと持って
いる。可奈子ももちろん持っている。でも、奈々の積極性とか前向きな姿勢は、誰にも負けな
いものがあると思う。可奈子がチラッと言ってたんだけど、奈々は昔ヤバイくらいグレてる時期
があったらしい。それはもう手の付けられない状態で、あの可奈子でさえどうしていいかわから
ず、結局奈々を助けるどころか、なにひとつ役に立てなかったらしい。
 でも奈々は、自分一人で回復していったという。自分一人で考え、過ちを素直に認め、自分
のしてることが無駄だとすぐに気づいたという。そして強く生きようと思ったらしい。
 誰に何を言われなくても、自分一人でしっかりと立ち直ることが出来るなんて、普通の人間の
精神力じゃない。
 奈々のとてつもない存在感は、容姿のほかにそういう強い精神力も理由の一つなんじゃない
かと思う。
 私とは、大違い。私は弱いもん。ついため息が出る。奈々はそんな私をじーっと見つめながら
言う。
「りこ、今不安なことってある?」
「うん。大人になるのが不安っていうか、怖い」
「そうか。私も同じ。大人になるの怖いよ。私ね、中学のころは今よりもずっと大人になるのが
怖かったんだ。なんで怖かったのかわからなかったけど、今ならわかるよ。大人になるのが怖
いんじゃなくて、大人になって子供のころの感情とか思い出とか、いろいろなことを忘れるのが
怖いんだ」
 始めて可奈子と奈々と話したあの日。私達三人は自転車を漕いでいた。あの時感じていた
可奈子と奈々に対する警戒心と、ほんの少しの期待。肌に触れて確かに感じていた風。今は
もちろん鮮明に覚えている。でも、大人になったらあっさりと忘れちゃうの? グレていた中学
時代は、バカだったなぁと苦笑いするだけで終わっちゃうの? 色々悩んでいたことも、完全に
忘れちゃうの? とがっていた自分を恥ずかしいガキだったなとしか思えなくなる?
 それは本当に怖い。いつか今を思い出せなくなるというのは、死ぬ事と同じくらいに寂しいこ
とだと思う。
「だからこそ、だ」
 と、急に奈々は声を大きくして言った。
「私達は出来るだけエネルギーを大量に使って生きて、丸になっても大丈夫なようにしなきゃい
けないんだ」
「……丸?」
「うん、丸。私達子供はさ、自分で言うのも変だけど、とがってるんだよ。いや、私は別に自分と
か友達がとがってるなんて思ってないよ? でも、大人。特に教師から見たら、子供はみーん
なとがってるんでしょう。でもとがってる子供も大人になりゃ丸くなる。私達は今四角なんだよ。
四角から丸にはなりたくない。でも、四角のまま大人になるのもダメよね。なら、せめて人よりち
ょっと雑な丸になってやりたい。私はそう思う」
 四角から、ちょっと雑な丸へ。私もそうなれればいいと思った。今の感情とか悩みとか、忘れ
るもんか。だから、だからこそ楽しく生きなきゃ。エネルギーを体に溜め込むなんて、そんなもっ
たいない事はもうしたくない。
 私は可奈子と奈々と違って弱いけど、可奈子と奈々と過ごしていくうちに色々なことに気づい
たし、立ち直ることができた。これからの人生、可奈子と奈々がいれば大丈夫。いや、すぐにで
もこれからの人生、私なら大丈夫と自信を持って言えるようになってやる。
「ねぇ奈々」
「ん?」
「可奈子、そろそろお説教終わったかな?」
「さすがにもう終わってるんじゃない?」
 私は可奈子の携帯に電話をかけた。もうお説教は終わっていて、可奈子はあと二十分くらい
で来れるという。
 今日は三人で、どんな楽しい雑談をしようかな? 可奈子、早く来ないかな。
「あ、ねぇ奈々」
「なぁに?」
「今度の酒盛り、他に誰誘う?」

 

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